
国民総被害者になりつつある今、被害者の現状を正しく理解する必要がある。
なぜなら交通事故被害者は、繁栄する車社会における隠れた暗い部分を体験し、身を持ってそれを理解している人たちだからだ。しかし、交通事故を起こした加害者の悲惨さばかりが伝えられている結果、被害者たちの実状はあまりにも知られていない。
交通事故被害者、それは肉体的、精神的、金銭的に有形無形の悲惨な目に遭っている。
特に死亡や負傷程度が重いほど、それは限りなく大きくなる。以下に交通事故で子供を殺された場合の、一般的な事故後の状況を紹介する。病院に運ばれた一郎君、懸命の救命処置の甲斐なく、数時間後息を引き取った。
大田は、病院で警察官から次のような簡単な事故の説明を受けた。
一郎君が道路を横断しようとして乗用車に跳ねられた
どうも飛び出したらしい
加害者は23歳の青年
大田は説明を受けて、飛び出しなら、一郎にも非があったんだと自分を納得させようと努めた。妻は泣き叫んでいる。自分がしっかりしないと…。
お通夜、告別式と悲しみのうちに過ぎていった。加害者は告別式に姿を見せたようだが、改めて謝罪などは一切無かった。いずれ謝罪しに来るのだろうと思った。
半月がすぎ、警察から呼び出しがあった。なんでも事故の説明をするそうだ。そう言えば、詳しい事故の説明など聞いていなかった。
警察では、事故の説明ではなく、子供の性格や学校の成績など事細かに聞かれ、何故か掛けていた保険金の額までも聞かれた。最後に加害者もまだ若く将来のある身だから刑を軽くして欲しいとの文を書かされた。警察で調書を取られるなんて生まれて始めてである。緊張のうちに、言われるままに署名捺印をしていた。
大田はふと思った、「そう言えば、加害者から謝罪を受けていない。事故の詳しい説明も受けていない。」
大田は警察官を質した、「事故はどのように起きたのか?」しかし、警官ははっきりと答えない。捜査中なので答えられないそうだ。何故自分の子供の事故について知ることが出来ないのだろうか? いったい事故の真相は…。
いろいろな話を総合すると、どうも目撃者がいないらしい。衝突地点も道路中央付近と思われ、飛び出しとは考えにくい。正しく捜査されているのだろうか? なんか変だ。
それからさらに数ヶ月がたった。捜査が終了すれば、警察から連絡が来て、事故の説明をしてくれるのだろうと思いこんでいた大田は、いつまでも連絡が来ない事に不信を感じ、警察に連絡してみた。
捜査はとっくに終了し、処分も決まっていた。
行政処分 免停60日、刑事処分 不起訴
不起訴と言うことは、無罪と言うことである。自分の子供が殺されてなんで無罪なんだ。
大田はたまり兼ねて、こちらから保険屋に連絡した。保険屋が言うには、事故の原因は「飛び出し」で一郎の過失を考えれば、補償額は自賠責の範囲内なので、示談交渉をする必要がありません、とのことだ。
なんてことだ、こんな理不尽な事が、今の世の中にあるのか…。
この例にあるように、交通事故被害者は実に、不可解で理不尽な世界に置かれている。
交通事故は幸せな家庭を突然襲ってくるものであるから、自動車保険以外の準備などはしているはずもない。
事故後の悲しみの中で、何も分からず考える暇もなく交通事故の現実的処理をしていかなければならない。
その理不尽な世界を紹介する。
・警察の事故捜査への不信
悲嘆のうちに、通夜、告別式、生前お世話になった人への挨拶、故人の身辺整理などで、時が過ぎていく。
そのような中、遺族の知らないうちに事故処理が行われていく。
事故原因を特定する唯一の証拠である警察が作成する実況見分調書(現場検証)は、加害者の一方的な言い分により十分な捜査もされずに作成される。被害者死亡の場合「死人に口なし」となり、加害者は自己保身をするのは当然で、多くの場合被害者に不利な調書が作成される。この典型的なものが「飛び出し」である。
加害者に都合の悪いものは、「飛び出し」の一言で、避けられなかった事故として扱われる。また、警察の捜査は死亡事故といえども、「事故処理」でしかない。決して事故の真相を明らかにする為の捜査は行われないのである。膨大な事故を扱う警察官には同情する気持ちもあるが、この調書により加害者の処分が決まるのであるから十分な捜査をしてもらいたい。また、捜査の経過は遺族・被害者には知らされることはないので、たとえ、事実と反する事が調書に記載されていたとしても指摘することすらできないのである。この事が、刑事裁判や民事での示談に於いて大きな影響を与えることになり、警察への不信感をさらに増加させることになる。
・極めて軽い刑事処分
事故後の処理に一段落した遺族は、加害者はいったいどうなっただろう? と思い始める。通常の人身事故と異なり、死亡事故の場合は加害者が全く謝罪に来ないケースも珍しくない。保険屋が示談交渉の代行をしていることも一因である。人一人殺しているわけだから、免許を取消されて、刑務所でも行っているのだろうと思うものである。しかし、現実はそうではない。刑務所どころか不起訴という「無罪」のお墨付きをもらって、すでにハンドルを握っているのである。刑事処分不起訴の結果をもって、加害者は俺は悪くないと言い張り出す。これが現状である。
この刑事処分は、遺族にとっては精神的に最も重要なものである。合法的に加害者に「仕返し」のできる唯一の機会であるからだ。しかし、遺族は、この裁判に通常参加することができない。それどころか、裁判期日の連絡すら来ないのである。ここでも遺族不在なのだ。
この様に、現在の司法の場では、反省も誠意もない加害者には未来があると保護され、その未来そのものを奪われた遺族・被害者には人権すら与えられていない。現在のこのような理不尽なシステムに遺族はどうしようもない怒りと苦しみを味わうのである。
・被害者不在の保険制度
歩行者や自転車による事故はもちろんの事、車対車の事故に於いても、自分の加入している保険会社に支払いの生じないケース(相手の一方的過失)は、示談特約などに関わらず、個人対相手側の保険会社との交渉になる。この事により、再び被害者は大変な辛い目に遭っている。保険会社は慈善団体ではなく、営利企業なのである。少なくとも被害者の味方であることはない。保険会社は保険金支払いを減らす為に、あらゆる手段で被害者攻撃をするのである。肉親を亡くし、深い悲しみの中で、保険会社の執拗な攻撃にも耐えしのぶ、もしくは諦めて泣き寝入りするのが現実である。
我々はもしもの時の為に保険に入っている。万が一不幸にも交通事故を起こした場合に備えての為である。しかし、一度、被害者になったとき、自分を守ってくれるはずの保険が何の役にも立たないばかりか、相手の保険により攻撃される事になるのである。それは、基本的に自動車保険は相手に与えた損害を補填するものであり、自分の損害を守ってくれるものではないからである。この事実を多くの加入者は知らない。示談特約のもとに、交渉一切を保険会社が代行してくれると誤った認識をしているのである。
・あまりにも軽い加害者の責任
交通事故を起こすと、民事、行政、刑事の3つの責任が発生する。民事は損害賠償であり、「示談」と言われているもの、行政処分は「免停や免許取消」である。また、刑事処分では、「業務上過失」という罪に問われる。しかし、その中身は、民事は保険による支払いで自己負担無し、免停は、60日もしくは90日を受けるが、講習を受けることにより、大きく減免される。更に刑事処分に至っては、不起訴、もしくは略式起訴による罰金ですみ、禁錮の実刑になるのは極めてまれで、多くは執行猶予で本人は痛くもかゆくもないのである。精神的に辛いであろう示談交渉は、全て保険会社が担当し、加害者は顔すら見せない。加害者とはこんなに楽なのである。
このような制度の中、多くの被害者・遺族は泣いているのである。我慢する事が美徳とされるこの国において、多くの人は泣き寝入り状態である。加害者の人権も大切だろうが、被害者・遺族の人権にも目を向けられるべきであろう。