求刑を上回る判決!
平成13年02月28日 弁護士 松 本 誠
1 判決言渡し―概略―
(1)意義
山陽道死亡事故(軽ライトバンの親子2人が死亡したトラックによる追突死亡事故)で大阪地裁仁宮信吾裁判官が禁固1年6月の求刑を上回る1年10月の懲役の実刑判決を言渡しました。
13年2月27日の新聞各誌の朝刊すべて1面記事でした。大阪地検の求刑運用を見直すとの検察発表もありました。
判決は刑期を4ヶ月も重くし、かつ禁固でなく、懲役とした点が画期的です。
悪質な交通事故への世論の敏感な背景が窺われます。判決への反応を正面から見る限り、悪質な交通事故への処罰の反省があるようです。
(2)弁護士会等の反応
もっとも大阪弁護士会の副会長の判決へのコメントも有りまして「刑罰には一定の基準がある。裁判官だけの判断で厳罰化するのは問題だ」(毎日新聞より)とする反対意見や、「明らかに過失犯なのに故意犯のように重く処罰するのはおかしい。今の見なおしの議論の方向からも外れている」(朝日新聞の伊賀弁護士コメント)との反対意見もありました。弁護士は加害者の弁護活動がメインであるため、立場を考えれば反対意見は仕方のないことかもしれません。
弁護士会や弁護士会としては予測もしない判決で有るため、戸惑いの方が多きいようです。刑の減刑交渉が刑事裁判の仕事であるために、弁護士の立場がないわけでありまして当然の反応でしょう。殺人罪等の一般事件では求刑を上回る判決は出ることは無いでしょうからきわめて異例の判決でしょうし、司法業界においては、仁宮裁判官は恥をかいているのかもしれません。「変な裁判官やなあ」とされ、地方にとばされるかもしれませんね。でも被害者の声をよく聞いている名裁判官でしょう。
(3)検察や司法界
検察はどうか?
「求刑を見直すという」という検察のすばやい反応がありました。しかし実態は普段の刑事裁判をしている裁判官が日常的に思っていた疑問がたまたま表れた判決でありまして、今までの検察の求刑対応がいかにお粗末であったことを示しています。検察のすばやい対応の実態を知る必要があります。
被害者にすれば、今の交通事故の刑事裁判は検察の起訴から始まる茶番劇であります。「厳罰を求める」と検事は言いながら求刑するのは予想外の軽い求刑でありまして傍聴等していた遺族はほとんどがガックリくるのです。法廷で行なわれているのは儀式であり、しかも加害者の刑を軽くするための場だけであるのです。
2年を求刑しても判決は7掛けの1年半というのが慣例であるのです。
今回の判決はきわめて異例といえるのです。司法関係者は皆驚きと意外性をもって判決のニュースを聞いていたはずです。
2 業務上過失致死傷罪の刑の軽さの実態
刑法の教科書では、業務上過失傷害罪は過失傷害罪より重いはずであります。でも実際には最高裁の司法統計年報で調べる限り、そうなっていません。簡単に交通事故事犯の実態がわかります。過失傷害罪と業務上過失傷害罪でも過失傷害の方が重いくらいの刑の実情があります。
傷害致死罪と業務上過失致死罪とを比較して見ても、傷害致死罪の刑が業務上過失致死罪と比べて、どれほど重いかわかります。7年以上の実刑すらよくあるくらいですから。
交通犯罪だけがなぜ軽いのか、どれほど口で説明しても理解できないほど軽い刑の実情があります。
今回の仁宮裁判官の求刑を上回る判決は、極めて異例であり、実務家にも違和感がかなりあったようです。二宮裁判官は量刑理由の中で「前方不注視という 基本的な注意義務違反で、過失の程度は極めて大きい」とだけ述べていますが、昨今の道交法改正の世論だけを意識したのではなく、裁判の現場実務家としての眼から見た刑の不公平感が判決言渡しの背景にあったのだと強く推測されます。そういう意味では私から見ると、時期的にも適切であるし、司法の役割としても危機的な司法状況に警鐘をならすものであり、良い判決です。
3 被害者側から見た判決の背景について
(求刑を上回る判決の例)
実は交通死遺族の中では神話のような先例があります。
「ポケットテッシュのように軽い命の重み」というキーワードを持つ判決です。
1996年(平成8年)10月30日に言渡された判決は次の通りでした(なお事案は飲酒運転赤信号無視での死亡事故で、被害者はM君という13歳のお子さん)。検察の求刑は懲役2年6月で、これに対する言渡し判決は懲役3年と厳しいものでした。
判決いわく
『交通事故裁判での命の重みは駅前で配られるポケットテッシュのように軽い。これではたしていいのか。日本では、被害者の無念、遺族の悲嘆に比して交通事故加害者はあまりにも過保護である。命の尊さに法が無慈悲であってはならない。子供は親の宝、生きる希望だった。母親の悲痛な思いは到底言葉では表現し得ない。被告の償うべき責任は重大である。蛮勇かもしれないが、刑は軽きに失しても重きに過ぎてはいない』として、求刑を上回る刑を日本の刑事裁判史上初めて言渡したのです。
判決後言い渡し後、法廷ではすすり泣きが起きたといわれます。
この判決を取上げた西日本新聞でも
「この判決は今も交通被害者の間でたびたび話題にのぼる程『突出した存在』なのが現実だ」と結んでいるほどです。
なお、この京都の藤田裁判官はその後も平成9年3月にもT君という2人の兄弟の子供さんの交通死亡事件での判決でも同様の理由を述べておられます(判決は求刑通り禁固2年であった。求刑通り、という判決自体も今の交通裁判のマニュアルシステムでは画期的で異例です)。
4 今回の判決のポイント
藤田裁判官の判決はポケットティッシュのように軽く扱われる交通死被害者の立場を尊重したものであり、今回の判決も交通死被害者の声無き声に配慮し、そのうえで、「悪質運転を許さない」という世論、および現場の裁判官の「刑のバランス」感覚があったからこそ言渡されたものと思います。刑事裁判官としての良識が出ている名判決でしょう。マニュアル刑事裁判官に模範を示したのです。
交通モラルが崩れ、交通事犯を取り締まる警察や検察の士気(モラール)も無くなっていく世の中の風潮に対する司法の良心といえるメッセージである気がするのは私だけではないでしょう。モラル喪失の交通死被害の処理システムに対する警鐘の判決と理解すべきです。拍手されるべき判決です。