命を守る交通検察の使命放棄と警察の連続不祥事の関係

弁護士 松 本   誠      平成12年3月8日

1. 『過失の如何を問わず、3週間以下不起訴』とする方針を決定した東京高検検事長は、生命を守る交通検察の使命を放棄
 昭和61年から62年にかけて、検察の方針転換がなされた結果、僅か1年で東京高等検察庁内だけでも起訴率が約60%から16.4%に低下し、そして、札幌高等検察庁を始め全国の検察庁がこの方式に従ったことは、前に報告したとおりです。
 この交通検察の使命放棄事件に対し、既に副検事たちは将来の警察の「士気の低下」を明確に挙げていました。というのは、過失のいかんを問わず、3週間以下の業務上過失致傷事件を不起訴とするなら、『どうせ、検察が不起訴にするなら、捜査などしなくてもいいことになる。』からであります。私は、検察のトップに近い人の半生記で以上のことを最近になって初めて知り、驚きました。
 緩刑化について、多くの被害者遺族が疑問も持ちながら、その理由はよく分からない部分でした。
 あの二木教授著の「交通死」の中でも、1985年を境にして以降10年間は明らかに寛刑化にあるが、どうしてこのような方針をとったであろうかとの疑問を呈し、1993年版犯罪白書を引用したり、或いは裁判官の言葉を引用したりして、検察庁や法務省が世の中の大勢の声に合わせて被害者の声に耳を傾けていないのでないか、ぐらいの結論しか導き出されておりません(「交通死」の64〜70ページ)。
 しかし、過去に業過事件の法定刑を3年から5年に厳しくした効果が浸透しており、それで緩刑化したのではないかと言う学者もおり、実際に厳罰にした効果が出たために刑を緩くしたのでないですか?と神戸新聞の記者から電話で質問されたこともありました。しかし、よく考えてみると、3年の刑を5年に増やし厳罰にし、検察や警察の現場でようやくそれが浸透し、交通三悪に対する方針が確立した頃に、「功を奏したので厳罰化は間違いでした。これから刑を軽くします。」とと言えるものでしょうか? そんなバカな事が通じるはずはありません! 国家の刑罰がかくもいいかげんなものであるはずは無く、こんなことは現場でも上層部でも筋の通らない話であり、心底、61年の緩刑化への政策変更に対し疑問を持ちました。法務省が『一億総必別化を避ける』と言い出したのは少なくとも5年後なので、これは後から考えたら嘘なのではないかと思った訳です。
 皆さん、そう思いませんか? 緩刑化本当の理由は、交通事犯の事件はめちゃくちゃ忙しく、1年ぐらい積み残しの事件が多かったのでないか? いや、もっと多かったのでないか?
2. 交通検察が生命を守る使命を放棄した本当の理由は何か?
 何故、昭和61年にこの歴史的検察使命の転換がなされたのかは、検察が正面から答えるわけがありませんが、先日招介した竹村さんが、自分が勤めた東京地検交通部長時代のことに関し、長期未済事件が100件を超えていたと述べられましたが、それは昭和50年頃の事なので、60年頃まではこれが日常化していたと考えられます。また、増加する業過事件の対策の為に検察庁は副検事に検事職の肩代わりをさせ、交通部は副検事が大人数となった頃です。過失の判断はもともと難しいものですので、ますます未済事件が増えていったものと思われます。
 ところが昭和60年の伊藤検事総長の時代に、東京高検の前田宏高検検事長の元、東京高検の管区内でだけで業務上過失致死傷罪の処理求刑基準が具体的かつ明確に示されたのです。全治三週間以内のものは、殆ど過失の如何を問わず不起訴にする事、同時に起訴する場合の罰金額を引き上げると言うものでした(一検察官の軌跡188ページに触れられている部分です)。
 何のためにこんな事をしたのでしょうか? この時期、業過事件のあまりの多さと、そのために副検事がかなり交通部で増員がなされ、あるいは新規採用されて検事の全面肩代わり制度が事実上できたことから、担当する副検事の為に、起訴・不起訴を決める明確な基準を作成する必要があったのでないかと推測されます。と言うのは、業務上過失致死傷罪の過失の判断をなりたての若いキャリア不足の副検事に期待するのはおよそ無理なのです。それで多くの副検事の為に起訴の基準を分かりやすく作成されたのが、『3週間以内の傷害事件は過失の如何を問わず、不起訴』となったわけです。技術的理由しかないのです。要は起訴の基準を一番悩まない基準としたわけです。
 子供にも分かるものです。 この基準を作る時に、正義はなくなってしまったのです。 悪質かどうかとか、スピードがどのくらい出ていたかとか、信号無視がないか、とかいう事実は一切判断対象外としていいことになったのですから。
 目撃者がいる事件といない事件があり、過失内容の分析は学者でも閉口するのに、副検事がこれをできるかと言うと、疑問だということです。そこで三週間が起訴不起訴の分水嶺とされたのです。
3. 検察方針転換に対する多数の副検事からの疑問の声
 この時、副検事の多くが、『過失の如何を問わず不起訴とすれば、警察の現場の士気がなくなるのでないか』との危惧の念を抱いたそうです。この『副検事の多数が危惧していた』という点が大事な点であります。
 何故かと言うと、一旦交通事故が発生して、死亡事故か、軽傷事故か区別して現場に向かう警官はいないでしょう。交通事故が発生したら、一定の気構えで行くのです。すると制度当初は正義感の気構えがあっても、そのうちどうなるでしょうか。三週間以内なら捜査しなくてもいいんだと、初めから分かっていたら、どんなに難しくあるいは結果が死亡で重大だとしても交通現場に向う警官の気構えはどうでしょうか?
4. 警察の現場でも検察を真似る不処理の基準作り
 警察の現場では、2週間以内の傷害なら警察限りの処分で済んでしまってもいい事になっているという警察部内の基準があることが、先日警察の不祥事事件(8ケ月の傷害期間を2週間と書換えた事件)で判明しました。こんな警察官の類もいるぐらいですから、普通の警官でも現場に臨む態度はそれまでと違うのが当たり前です。
 また、事故への関心や注意は遺族や被害者とは明らかに温度差が違うのです。
5. 交通警察の態度
 警察はきちんと調べていると被害者には言うでしょう。しかし、実際、警察官が現場から警察署へ帰って報告することは事件になるかどうかではないでしょうか? その後、、事件になる場合はそれから本格的な取り調べとなるのではないでしょうか。だから、目撃者探しについて、初めからそんな事は仕事でないと思っている場合が多いのです。
 こんな風に被害者向けと警察内部の言い方が違って来るのが当然でしょう。これが日常化していたわけです。この日常化の溝が、今の警察連続不祥事発生の原因です。
 警察の部署で一番多いのが交通課の人員であり、毎年の配置換えで交通で覚えた「命を守らない警察」と言う正義感のない警察の実情に慣れてしまい、ほかの部署に行くのです。新潟県警の犯罪探知能力ゼロ、更にウソをつく体質は、既に回復しがたい一般警察の交通警察を真似た姿がそこにあるからです。
 ちなみに関西だけでなく名古屋にも交通事故の鑑定をする専門家が殆どいない現実は、「無策の塊・交通警察、やる気の無い交通警察」を象徴しているのです。科学的な捜査をやろうとする姿勢がまったくないからです。
 また、検察も現場に行かず、かつ、処理を決めるだけなので、不祥事が目立つことはありません。しかし、少なくとも私が担当した事件でも初めからオカシイと思う事件はかなりあり、目撃者がいても否認している加害者を責めていると思える副検事は見当たりません。だから、加害者は最初から認めず、否認するのです。当たり前です。
6. 加害者保護システムの二つの原因
 平気で加害者が被害者の飛び出しを言う言葉がよく出るのは、以上の交通警察と交通検察のヤル気のないシステムがあるからです。悪いやつほど助かるようなシステムを検察と法務省が作ってしまった結果です。厳罰化を止め、情報を非公開にしているシステムです。もし、そうでないなら、法務省が捜査情報を公開して遺族に見せるべきですし、悪質な事犯似は厳罰で臨むべきであり、昭和61年の便宜的処理を廃止して、厳罰の刑を復活すべきなのです。悪しき交通事犯を本当に取り締まるべきなのです。
 捜査情報をあくまで見せないのは、かばってあげねばならない警察や副検事がいるからです。やばいからです。ばれるからです。悪質な事犯を厳罰に戻さないのは楽になった処理システムを変えたくないという役所の勝手な理屈からです。そこには命の尊厳とか、命を守る使命感はおよそないのです。
7. 生命を守る使命を放棄した検察の罪
 私は別にアジテーターでもなく普通の弁護士ですが、被害者無視のシステムが、かつて一握りの検察幹部によって一旦法で厳罰とされた業務上過失致死傷罪を骨抜きにされてしまった事実は許されないことであり、当時の東京高検の検事長は被害者遺族の立場では明らかに戦犯とさえ言えるのです。これがなかったら、出会い頭の事故と区別される悪質な事故は、子供でも区別できたはずです。この結果、次の現象を生んでいるのです。
 (1) 交通事故は軽いという悪しき風潮を生み出し、
 (2) 道路行政のやる気のなさ、
 (3) 警察のやる気のなさ、
 (4) 検察の起訴したがらない雰囲気、
 (5) 民事裁判官が保険会社の出先機関の一員かのようなワンパターンな認定方法
 (6) 保険会社が遺族の事故の情報不足につけこんだと言ってもいい、被害者への示談交渉の接触のパターン、
 (7) 刑事面での加害者の供述に沿う調書作成態度、
 (8) 民事面の加害者と被害者の不公平な損害分担の押し付け、
 (9) 保険会社と被害者の圧倒的な不利益な示談取引の放置、
 (10) 根本的な捜査情報隠し、
 こういった被害者に明らかに不利益な現象、根本的原因が検察にあるのです。結局、泣いている被害者遺族の立場でなく、刑の運用にあたる役人の都合だけで決めてきた検察・警察の責任が95%ほどあるのではないでしょうか。
8. 「社会の緩み」の原因
日本の家庭や学校での緩みはこれに起因していると言っても良いでしょう。一旦緩んだタガをきつく締め直すのは、およそ無理です。すると、せめてこの原因を徹底的に追求してあんたの責任やとして、あらゆる機会を利用して戦犯の責任を明らかにすべきでしょう。そうでないと交通被害者の特有の問題がわからないまま、責任の所在が明確にされないまま、一般犯罪被害者問題に埋没する可能性が強いのです。
 どうして戦犯の責任の所在を明らかにするかですが、これは難しいが、機会があれば、検察庁を正面から訴えたいですね。そうでもしないとシステム側は振り向かないでしょう。