加害者天国ニッポン なぜ交通事故は軽く扱われるのか

「北海道交通事故被害者の会」主催講演 KKRホテル札幌 2003.5.17

 北海道の被害者の方とお会いするのは初めてですが、いつも関西で活動するTAV(交通死被害者の会)の2ヶ月に1回開かれる運営会に参加し、2ヶ月に一度は定例会で話をさせていただく活動を5年ほどしてきています。「加害者天国ニッポン」という本は、その中で出来上がった本です。
 私自身弁護士19年目ですが、交通事故問題は一般の弁護士が.気づかない問題です。登録して3年目くらいに子どもさんの被害事件を受け、損保の提示額が40万円で、結局判決で出た金額が1300万くらい。この違いは何でだろう、という疑問点があり、それから10年くらい経てから、関西の交通被害者の会の支援弁護士という形で相談を受け、やっぱり基本的には被害者側と、損保を含んだシステム側とは深い溝があるのではないかという思いも、また別途持つようになりました。今回の講演も生命のメッセージ展に参加している米村さん、前田さんから話があったのですが、非常に被害者だけしか見えない世界、被害にあって初めてわかる世界がある。こういう世界が今の日本の交通事故の被害者の現状ではないかと思います。
 お手元に「加害者天国ニッポン、なぜ交通事故は軽く扱われているか」という表題の資料がありますが、第一で実状を説明し、第二で原因を9つほどあげております。この中で根本的な原因に被害者排除システムというのがありまして、一般の犯罪被害者の場合でもそうなのですが、法律上、被害者というのが社会、あるいはシステムの中から抜け落ちている。それを原因の10に組み入れておいてください。その上で説明に入らせて頂きます。

第1 実情
 身近な例から言いますと、昨日民事裁判の証人尋問をしたのですが、3年前に発生した交差点での自動車同士の死亡事故で、加害者が赤信号無視をし、かつひき逃げをしたということで、その後刑事処分で執行猶予になっています。依頼を受ける前に、被害者遺族は損保会社と8対2とか、9対1とかの交渉をされていました。この段階で引き受けまして、刑事記録を検討しまして、現場に行ったり、信号周期表を取ったりしました。その中で、本来出ているはずの信号周期表が開示されていなかったので民事訴訟上の手続きで取りました。遺族のこだわりというのが、被害者側の信号が黄色とされているということの一点につきる裁判だったのです。昨日、被告人尋問というのがありまして、被告人が言うには『自分が言った「被害者側の信号が黄色」というのは、実は警察官から言われたもので、警察官が黄色のはずだと言われたから、自分は全く記憶が無いのに、その通り書いてもらった』と言うのです。こういうことは、本当はねつ造となります。公務員による犯罪です。
 また、2週間ほど前に奈良の検察官交代事件、検察官が被疑者の調書を勝手にいじったということがありました。例えば加害者は警察段階調書で、『右折するときに,直ちに止まれる速度で徐行していたらバイクが右から来たと、被疑者側の行為について徐行した』という扱いをしているのに、9ヶ月ほどして勝手に検事が『一時停止をした』というふうに変えているのです。加害者の徐行が一時停止と変っている。被害者側からすればとんでもない。
 交通事故の捜査はそういう世界です。私は調書にこだわる弁護士でして、事故の捜査過程において人為的な捜査が入っている。事故発生当初は本当の事を言っていた被疑者が後で言い分を変えたり、その中で被疑者と会うたびに警察官や検事が同情したり、あるいは同情しなくても副検事は罰金にもっていきたいがために調書を少しずついじるのです。ですから、被害者や遺族にしたら捜査記録を後で見たときに、なんだこれおかしいのではないかという事が結構ある。その時に異議を唱えても、事故発生から2年、3年経っていますから目撃者に聞いても覚えていないという。捜査を担当した警察官とか検事は交代したり転勤したりする。そうすると、争う方法がすでに無くなっている中で声をあげても非常に孤独感にさいなまれる運動となる(署名活動等もその延長といえる)。それが最近、非常に注目されてきています。注目されてきているのは被害者の会や遺族の会の中だけで、一般社会になかなか響かない。そういう問題がある。
 今からお話しすることを考える上で、考え方が2つほどあります。原因を考えるポイントは、1つ目は『車と事故をどう考えるか』。例えば、『車は走る凶器』という見方は被害者、遺族になって初めてわかる感覚です。ところが、現実にはそうではなく、一般社会では『車は快適な乗り物』で保険があれば良いという社会になっている。つまり、車は便利な物ですよという価値観がどんどん毎日のようにテレビ報道されている。ところが、いったん被害にあうとそんなものではないでしょうと。トラックを見てください、当たるだけで死ぬのにそんなの快適な物ではない、例えば走る凶器である車に飲酒で乗るのは、殺人という故意で乗っているのではないかと。そういう点が一点です。
 それから、例えば非情な目にあって署名活動されても一過性のものとして過ぎ去ってしまう。一般社会は連日のように車の快適性を宣伝されていますから政府もそれにのってしまう。そう言う中で、被害者の声がなかなか通じない社会がある。危険運転致死罪についても、法改正に参加した弁護士、副検事、法務省などほとんどいない。被害者だけが署名運動に参加して出来た法案です。画期的な法案と思いますが、なかなか通じない社会がある。それは今でも変わっていない。
 ついでに言うと、交通事故というのは簡単なようで実は難しい。過失犯というのは非常に難しい面がありまして、例えば飲酒運転が厳罰化されたと言いますが、警察の過失についての考え方は変わっていない。例えば飲酒して乗るというのを、直接には過失とせず、今でも事故発生する直前の過失に求めている。直近過失論と言います。ところが遺族は飲酒して乗ること自体に過失がある。だから飲酒させる人も責任が重いのだという思いです。ところが警察や検察は直近過失論からきますから、飲酒して1時間後あるいは10分後に事故が起これば、その直前の過失になる。つまりその時の前方不注意だと。酔っぱらいが現場検証してここで見たとかあそこで気が付いたと言ってもそれが平気で調書に書かれている。ところが遺族からいうと、それはとんでもない話。酔っぱらいが言っていることを数字と確定している。だから捜査が非常に難しい問題がある。
 それと、事故の分析も非常に難しい。どこで見たかという点についてなども、現場の警察官が指示して、被疑者がやったこととしている。ほとんど、事故発生直後からそんなに覚えていないのに指示されてやっている。それを基に分析をする。また非常に不確定な事実に基づいた鑑定をしたりする。その鑑定がまた難しいからビジネスが入ってくる。弁護士もどちらかというと関わりがないから、鑑定あるいは事故屋さんが流行るビジネスになる。それについて警察はあまり関与しない。被害者が相談に行っても、それは処理されてしまっている。そういう世界がある。だから被害者対策もある程度のところまで日本はきている。被害者同士の話でそれはわかってきている。だから今は署名が有効となり、なぜ有効かということわかってきている。被害者が監視できないシステムですから、署名を集めれば役所も動く、警察も動く、検事も動く、裁判所も動く、そういうことで署名がされ、活用される。だから政治運動でも何でもない。被害者が排除されたところで署名の数を集めれば役所はちゃんとやる。なければ密室で葬るのです。こういうシステムになっているということが署名をする前提にあります。
 また、交通事故が軽く扱われていることについては、いろんな段階があって、事故発生から警察あるいは病院、検事、裁判所、弁護士、どの段階でも軽く扱われている。典型的な例で、刑はどうか。死亡でも簡単に罰金で処理されるし、重度後遺症の場合にはもっとひどい。病院を転々とされている関係で警察の方でちゃんとしませんから、罰金で処理されるケースがほとんど。私が相談受けている例でも、何でこれが罰金なのかという例が非常に多い。国は平気で罰金で済ませてしまうが、遺族や被害者はとんでもない思いでいる。わずか20万とか30万くらいの罰金と引き替えに加害者は以前と変わらない生活をしている。ところが被害者の方は、死亡にしてもすぐに回復できるわけでなくて10年続く、20年続くという感情を引きずっている。重度後遺症の場合にはもっとひどくて、被害は一人でない。家族みんなを巻き込んで2人や3人という人生が葬り去られている。そういう被害の実状がある。一方加害者はわずか20万とか30万の罰金だけ。このアンバランスは何なのだと。
 加害者の実刑率も、平成5年に法務省の方で犯罪白書で特集を組んでまして、実刑率を世界の各国と比べて、韓国・ドイツの4分の1、イギリスの6分の1、フランスの10分の1というのを発表しています。ドライバーに過剰に優しい国が日本なのです。実刑率の低さはダントツ世界一です。犯罪白書で『悪質な交通事故を厳しくなくてはいけない』と、当時から言っていた個所もあります。5年版白書では、実は、違った箇所で矛盾したことを言っており、実刑率は世界で一番甘い、厳しくしなくちゃいけない、といいながら、交通犯罪は不起訴で処理しようと堂々と宣言する。こういっためちゃくちゃな役所が法務省です。矛盾したことを堂々と政策として通用するのが今の法務省とか検察庁かもしれません。13年度の業務上過失検挙件数では、業務上過失で警察が関知した件数87万件が人身事故です。13年度の犯罪白書では、このうち実刑者は900人です。1000人に一人が実刑になる。人身事故を起こしても。実刑期間も非常に短い。実刑期間があまりにも短いので、被害者の遺族から指摘されたのが危険運転致死罪で、業過の最高5年はあまりに短いからもっと上をと、15年になった。罰金は改正されていません。50万円までと非常に安い。罰金刑も刑として影響を受けるかというのが昔から議論されていますが、別に変わっていない。感銘力がないとされる。法務省も罰金は感銘力がないと言っている。法務省はどこで使っているかというと、罰金を受けても感銘力にならない。つまり、加害者が全然影響を受けないから不起訴とする理由にしている。ぜんぜん理屈に通じないことを言っている。
 加害者に甘い運用は刑以外にもありまして、警察が加害者を逮捕しない。データで調べたら一般傷害犯は9割逮捕するが、交通事故は逆で1割しか逮捕しない。初動捜査でほとんど終わりとし、再捜査は一切しない。ですから加害者の供述どおりとした捜査がまかり通っている。目撃者は必要な人しか探さない。遺族が4人います、5人いますと言っても、1人くらいしか捜さない。遺族は一生懸命目撃者探しをするのですが、その結果を言わない。だから時々、新聞とかテレビでも良く問題になるテーマとして「死人に口なし」の捜査がまかり通っているとなり、それは全然変わっていないし、むしろ増えているのではないかと思います。
 検事は遺族に会うのを迷惑がり、嫌な顔をする。年々ひどくなっていく傾向はどうしてか。交通検察は検察庁の一番低い部署と言われているのですが、副検事さんというのは、昔は一般殺人事件とかに交じって他の検事と一緒に正義感をもってやっていたのが、昭和61年の改革から全部交通部にまわされた。他の部との交流がなくなって副検事はほとんど交通事件しかやらない。そのころからおかしくなってきたというのが、今の交通検察の姿だと思います。
 私が聞いた遺族の話でもまれではなく、多くの遺族が同じ話をする。被害者遺族を無視した捜査とか処理が日常的、構造的になされているのではないかと。ここには被害者でない方もおられると聞いていますので、私が普段接しているというのはそういった立場の人ですから、感情を害されることがあるかもしれませんけど、今日はそういう立場で来ているということで聞いていただきたいと思います。

第2 原因
原因1 なぜ交通事故は軽く扱われるかという原因を説明します。レジュメの10番目にある被害者排除システムは一般犯罪被害でもそうですが、交通犯罪が発生したら被害者が入り寄る余地があるかというと、まずない。捜査過程でもない。現場検証も勝手にやってしまう。捜査過程を被害者に教えない。刑事裁判になっても積極的に教えない。最近、刑事記録は見られますよといっているが、あれはウソで、国は被害者には意見陳述や謄写の機会があることを告知せず黙ってる。だから積極的に被害者遺族の方で言わないと、謄写出来ないし、見られない。被害者保護法が出来たと言ってもあれはウソで、被害者が入る余地というのはほとんどない。相変わらず刑事裁判は従来の検事と裁判官と弁護人の3者でやっている。被害者排除システムが根本原因にあり、この他の原因として1から9を見ていきます。
1 検察の極端な起訴率低下です。日本で交通事故が軽く扱われる原因は、法律でなく政策と運用です。犯罪白書を読むと、昭和60年の73%の起訴率が平成12年度に11.5%にまでなってる。よほどの人身事故でない限りは起訴しない。「検察の疲労」という本が産経新聞から出ていますが、東京で8%になったとある。人を怪我させても無罪放免9割。国は交通事故を犯罪扱いしていません。
 この政策がどうして始まったかというと、内密に始まった。61年から62年にかけて、東京高検検事長前田宏さん(後に検事総長)が、東京高検内だけでスタートしました。法務省はこれが全国に普及し、うまくいったものだから、7年後の平成5年の犯罪白書で堂々と『交通事故を非犯罪化とする、不起訴が原則なのだ』と言い出します。検察の運用を理論的に後押しし、国として正当だと宣言をしました。資料の2と9を見て頂きたいのですが、業務上過失致死傷罪の起訴率推移のグラフがあります。資料の2、昭和61年がピークの73%が、平成10年で12.9%、最近では11.5%ですから、益々下がり、国に反省する余地もありません。 グラフの線を見ていただければ、道交違反は9割以上起訴されています。一般刑法犯、交通関係業過を除く刑法犯は変わっていない。だから、交通事故を起こし、人を怪我させ死亡させた事件だけが変わってきている。そういう政策が昭和61年から始まったのです。
 資料の9は、わかりやすく最近のデータをひろったものです。平成3年と12年のデータを比べて見ますと、送致件数が60万件から85万件に増えていますが、正式裁判される公判請求事件は変わっていません。逆に不起訴件数は40万件から70万件に増えている。起訴率を見ていただくと、平成3年に21%だったのが今はその半分の11.5%。ある時点からストンと変わるのではなくて、実態が変わらないのに不起訴を増やしている。つまり年々手抜きをしているのです。一言で言うと、検察の組織自体にやる気はなくなってる。
 次に資料1。太い線が被害者数の経緯。政府は死亡者数の経緯をデータとしてあげますが、実は医学の進歩や科学の進歩で死亡者は減っています。政策で減ったように言っていますがウソ。被害者数を見ていただければわかりますが、負傷者数が昭和45年頃に99万人とピークになった。急激な右肩上がりを見ていただきたい。この時政府はものすごく危機意識を持ち、『車は走る凶器だ』とさんざん宣伝して、悪質なドライバーとして『飲酒運転、スピード違反、信号無視』の交通3悪と、これらを標的に『初犯から実刑を』とテーマを掲げ、官民あげてキャンペーンし、立法で3年の法定刑を5年に引き上げた。この時の効果はものすごいものがあり、昭和46年の年間99万人の被害者は、昭和51年に60万人にまで急減し、ものすごかったのです。それまでの加速度増加を見る限り、劇的な減少です。その後10年経ち、昭和61年頃から検察庁が不起訴原則主義をとった。非犯罪化政策です。交通事故を犯罪にするのはやめようということです。この時代交通戦争という言葉があり、加害者と国との交通戦争に国の政策が圧倒的に勝利したと言っていい。ところが現場では、全件送致主義で、起訴としたがため、処理する事件が山のように溜まった。これをどう片づけるかということが、実は交通検察の問題だった。さんざん内部で議論されたようです。交通事故を厳しくしたのはいいけども、検察の仕事が滅茶苦茶増えた、どうしようとなったのです。過失犯はもともと非常に難しい側面がある。捜査の主導権も副検事がし、再捜査をさせた検察主導の捜査です。起訴するかどうか一生懸命考えていた時代です。それで、ますます起訴件数が増えた。元東京地検交通部長の竹村さん(広島高検の元検事長)が「一察官の軌跡」の本で、自分が交通部長の時には累積した件数が山とあったけども、自分は仕事でなくしていったという自慢話が書いてますが、自慢話をするくらい他の部署では累積件数が山となっていたということです。その対策の為にどうしようかと検察庁内部でさんざん議論された。それで二つの政策を掲げた。一つは交通部に副検事の人員を増やそう。一般事件をしている副検事を持ってきたわけです。交通部を副検事で固めた。そうすると検察内部に交流がなくなるわけです。正義感を持って犯罪とは何かという人が交通部にいなくなる。もう一つは、今まで一般事件もやっている人たちですからわからないこともある。それまで原則起訴主義だった。警察が調べて検察に送致するという、全件送致主義があり、ところが検察もそれまで同じ政策だった。ところが原則起訴でなく起訴するのをやめようと言い出した。どう減らすかと一応の基準を作成した。3週間以内の傷害は起訴しないとした。飲酒運転しても3週間以内なら起訴しない、とばかげた基準を作った。こんなことが許されるはずもないのですが、内密にやってしまった。人身事故の一部は起訴しない基準だった。東京高検で始めた当初は、他の検察高検からも猛烈な反対があった。特に副検事は猛烈だったようです。なぜかというと、ついこの間まで『命を守ろうという交通検察の使命感』に燃えて初犯から実刑をとしていたのに、起訴するのはやめたと言うのですから。ところが、1年間実施したら、59%の起訴率が16%に劇的に急降下した。それを見た札幌高検が続いて2番目に真似をした。次々と全国の高検がこれを真似した。当時の新聞記事に佐賀の79%の起訴率に対し、東京は22%と「起訴率この格差」とあります。この時代の各検察の新基準適用のずれが記事となっています。件数が多いから起訴するのをやめるという。全国にだんだんと浸透していったのです。3週間以内の傷害なら起訴しないというのは一見分かりやすいが、これもペテンで、捜査に求められる診断書は、医師が見込みで書く。警察にすぐに出せと言われて、3週間くらいの見込みとか2週間ぐらいの見込みとか。ところが現場の医師はそんなこと書けないということです。警察から言われるから見込みで書かざるを得ない。すると見込みで2週間や3週間以内が決まる。医師に暗に警察の方からのプレッシャーがあります。3週間にするのか4週間にするのか。データのごまかしが現場で出来る。例えば20日とあれば全部不起訴になる。それは自動車保険ジャーナルに医師同士の会話であり、そんなこと医師が判断できないと。判断できないことを捜査側は要求している。検事のところに記録がいっても、そんなことは後では調べません。診断書の紙切れ一枚で調べるのです。それが3週間以内の起訴基準です。だから診断書は実はひどい。この話は元札幌高検検事長佐藤道夫さん(現参議院議員)と会って直接話を聞きました。「検察内部でも議論があったようで私も反対したんだよ、酒を飲んで運転しても怪我の程度が三週間以内なら起訴しなくて良いなんて、そんなことが許されるか君。ある裁判からも話があって、何だこれはと言われたよと。あのときは前田君が決めたんだよ」という言葉までいただきました。どうして急に起訴率が下がったか、わかった気がしました。検察幹部が勝手に決めた。検察は組織ぐるみで手抜きしたとなります。
 では死亡事故はどうか、と関心をもち、調べたのが資料4です。一番右の業務上過失致死。死亡事故のデータだけ挙げるというのを、法務省は最近やっていません。隠すようになっています。この時はたまたまですが。死亡事故の起訴猶予率−起訴可能人員中に占める処分の比率―が昭和58年に1.3%だったのが、平成4年になると12.1%にまで拡大です。実は「傷害について手抜きをしろ」といいながら、死亡事故についても起訴猶予率は10倍に急拡大している。死亡事故でも何でも不起訴にしようということです。3週間以内という起訴基準を作ったこと以外に、副検事制度の改正はあまり知られていません。代替措置、肩代わりを副検事がしていたことを全部交通部に持ってきた。だから副検事の仕事は実は検察官のようで事務的仕事。こういう現象が今全国でおこっています。今述べたのが交通事故非犯罪化政策、交通事故は犯罪ではないですよ、とそれは今でも変わっていない。むしろ、拡大です。
 原因2。 法務省の非犯罪化宣言。今の問題の延長ですが、7年後から不起訴運用基準が全国で浸透して、法務省が言い出した。つまり検察が先に勝手にやったことを、国として正当ですよと言った。なぜかというと、かつて交通事故はとんでもないことだ、厳罰化にしよう、命を守る使命感を君ら検事は持ちなさいと言っていた法務省は、検察の非犯罪化への転換について言い訳を言わなければいけなくなった。平成5年版犯罪白書で交通事故は犯罪ではないですよと宣言です。昭和40年代から50年代にかけて法務省や検察がしたことは、初犯から実刑というスローガンですが、政策が逆転し、交通事故はおよそ犯罪でないと言い方をするようになった。中国のことわざの朝令暮改、朝に法律を作って夕方にこれを廃止すると、まさにそういう運用です。法律ではないけど検察とか法務省、こういう国の根本の役所が、しかも世間にわからないように、内密にする。朝令暮改です。今の日本は法の元締めがこうですから、滅びようとしている。最初のグラフで示しましたが、今の被害者数は118万人となり、一時60万人まで減ったのに倍増です。でも何ら政策をしないし、手を付けようとしていない。捜査現場が腐っている。手を付けようとしてもつけられない。車の台数はそんなに増えている訳ではない。でも被害数は毎年増えている。平成10年が99万人、平成13年が118万人と、わずか4年で20万人増えている。交通モラルというのがドライバーに無くなっている。人身事故を起こしても9割が不起訴だったら次の運転を平気でします。モラルが無くなる。政策を担当する者として当たり前に考えなくてはならない。厳罰化された法律に危険運転致死罪がありますが、道交法の飲酒運転の厳しさは、この法律で死者が急減し、事故が減ったと新聞で取り上げられています。これは政府をほめていることではない。被害者の力でなった法律です。
 危険運転致死について問題あり、構成要件が曖昧です。たとえば飲酒運転での正常な運転が困難な状況はこれからの判例の蓄積です。危険運転致死で告訴しようとしても難しいものがある。まだ始まったばかりですから。システムの基本がそういう流れだから、難しい部分がある。特に副検事が判断するから余計です。刑の軽さというのは厳罰化法案もでき、被害者にとってのテーマの幾ばくかは達成してきてるけれど、交通処理システムの問題は相変わらずです。事故処理を軽くして被害者や遺族を排除している。
 原因3。捜査の士気の低下。法務省あるいは検察が交通事故を不起訴としましたので、警察のほうもやる気がない。どうせ起訴されないのにどうしてやらなければならないと。日経新聞のアンケートですが、ストレスがたまりやすく、交通部の評価が非常に低い。警察官の9割がそう思っている。やる気のない警察官の姿がそこにある。ですから初動捜査で終わろうとする。「正義感を持て」と国から言われず、むしろ「犯罪じゃないですよ」と言われたらどんな仕事しますか。検察にも当てはまる、裁判所にも当てはまる。検察は一番低い部署と東京地検でされている。他の地検でもそう。特に副検事ばかりそういうところに回される。正検事もひよこしかいません。体験のない新人です。ところが、悩むのは遺族や被害者で、過失判断が非常に難しい、検事がしない、やりたくない、警察官も。だから一つ一つの事件について見るとテーマがある。
 弁護士は頑張ってもらわなければならないのですが、実は弁護士に問題がある。弁護士になって、仕事をやるのは国選弁護士、刑事事件です。ところが、日本の公判弁護は、悲しいかな情状弁護しかしない。調書は争わないという勉強の仕方をしています。例外がもちろんありますが、それはえん罪事件など一部。被疑者がまさか嘘を言い、被害者のせいにするという読み方は教わらない。『損保事件の弁護士を頼んだらこうですよ』は、弁護士全体に言えるのです。調書を疑って読めは実は遺族になって初めて知る世界です。弁護士が疑って読めと教えられるのは、被疑者に不利な部分です。被疑者に有利な部分は疑わない。弁護士はプロで有りながら、被害者にとって実は抵抗勢力で頑固な壁です。「私はわかりますからやりますよ」といいながら実は現場に行かない。実は警察がやっていることは岡っ引き的な捜査しかやっておらず、被疑者の話をそのまま書き、科学的鑑定はほとんどしていません。その場限りの仕事。だから弁護士も調書を信じてしまう体質があります。
 原因の4と5。交通検察の腐敗問題。検察庁は一般の雰囲気として非常に堅いし、警察より上位の官庁だから非常に仕事としてもまともだな、と思いがちですが、実は逆で、交通事故の場合は警察のほうが一生懸命やっている場合もある。地検の部長序列で言いますと、特捜、公安、刑事公判、総務、交通と一番低い序列とされている。副検事の仕事の問題は、昭和61年度の改革以来、検察庁、警察という協議をする機会が無くなってきた。警察庁幹部では、「検察は事故捜査から撤退した」と言葉を使う。昔は警察と検察が協議していたのです。どうしようという最終の判断は検事にあって、再捜査の指示を徹底してやったと元検事長の話で書いています。今はそれが全く無い。誰が判断しているかというと、警察の主任捜査官がしている。私、ホームページもやっていまして、元検事さんからもメールで入る。「今は主任捜査官の時代ですよ」と。つまり検事は判断をしない。現場で警察官がしていると。恐ろしいですね。現場の警察官が全部指示して裁判官みたいな仕事をしている。目撃者がいて被疑者の言い分があり、最終の起訴不起訴の権限も、統括報告書とを最後に書く。警察で最後まで全部する。検事は何をしているか。選り分けと調書をワープロにする仕事です。調書は大変きれい。極端にいうと10ページあった警察の調書を1ページにする。副検事の仕事です。現場に行かないから、肝心のところが分からないまま落としている例もある。警察が一生懸命調べたものを無視している。先程言いました奈良の検事交代の事件、2週間くらい前ですが、警察で一生懸命「一時停止をしていない」と言っているのに、9か月後に検察で「一時停止しました」となっている。そういうのを平気でやる。だから、まともな副検事もやる気がなくなりますから、犯罪に立ち向かう正義感がない。ですから、刑事裁判になっても公判に自信がない。被害者の会でも傍聴することを勧めます。どうしてかというとみなさんに監視されるから、まともなことをしなくてはいけなくなる。副検事の姿は実に頼りない。裁判官や弁護人から突っ込まれたらどうしょうとおどおどする。犯罪者を厳しく処罰するという正義感に立ち向かう検事の姿はない。そういう揉まれて生まれる副検事はなくなったのです。で、遺族はどう進めていくかの対策ですが、検事や副検事と何回も会って、副検事を教育しなくてはだめですと、言う。腐っている。
 高知の遺族の人で、通勤バイクに乗っていて後ろからトラックに追突されて死亡した人から相談を受けまして、トラックの運転手は嘘をついている、けしからんと。「バイクが転倒したところをトラックが轢いてしまった」と嘘を述べ、記事になったのでないかと。それで猛烈なビラ配りとか署名活動をされ、目撃者がどんどん現れた。バイクの後ろからトラックが先に追突したと、トラックの運転手がウソを言っているのです。出会い頭の事故ではないですよということで、私も積極的に副検事に正義感に燃えろと本を送ったりもしました。初期支援です。副検事は最初はむっとしたようですが。その後被疑者は法廷でも同じ嘘を言うから、目撃者の話を追求したら、「私が嘘をついていました。実は後ろから追突したのです」と最後に認めさせたのです。嘘を言ったことで2年2月の実刑になった。遺族の不服の声は捜査に反映されないのが実情でしょう。だから被害者や遺族の声で刑が決まっていない実状があるから被害者が言えば副検事は教育されるとなります。一般に副検事、公判検事を含めてですが、あまり裁判をしたくないと思っているように思います。調書作成と裁判と同じ人がやる場合もあり、調書の作成から手を抜いてしまう。罰金に出来るから。先程言ったように、被害者のせいにしたら日常的な仕事が抜けられる。だから奈良の事件で、徐行を一時停止とした検事は片方でバイクの速度を早くするため、現場検証を目撃者を立たせてやっている。9か月後です。そんなこと言えるわけがない。時速55Hと法定速度30Hのところ25Hオーバーしている。被害者のせいにするためそういうことまでする。罰金で済ませるために、被害者のせいにする。そのことが新聞に載ったとたんに検察庁は反応して、職務の公正を疑う行為があったと認めた。職務に公正を疑わせることを普段から日常的にしている。被害者に監視されていないからです。奈良の検事交代事件で説明すると捜査記録は昔見られなかった。3年前までは。今は公判期日以降に、見られるようになった。謄写して遺族は見ました。そして「副検事の調書が警察の調書と違う」という電話が入りました。何で分かったかというと、私は依頼者と100回メールして捜査の時から報告を逐一受けていた。遺族が捜査のプロです。だから、被害者保護法で認められた謄写閲覧請求で捜査に対する監視の目が出てきた。事件のごく一部の割合です。公判請求事件は100分の1です。不起訴事件は永久にわからない。ついでに言うと、閲覧請求できるのはどうしてかというと、刑事訴訟法の47条に「刑事公判前には公開しない」という法律が昔からある。刑事公判されたら見せてもいいのではないですかね。最近になって被害者保護法で認められたのは恩恵的です。国はあくまで恩着せがましい。昔から公判になったら加害者は見ている。公判になって見られるのは加害者と検察官と裁判官だけ。被害者は相変わらず見られなかった。法律の規制は公判前には開示しないとあるだけ。見せれば良いのですが、昔から見せてなかった。国の考え方は「わしらが捜査や裁判をしてる、被害者は関係ない」ということです。
 大阪で捜査官のミスをとらえて国家賠償請求事件をしましたが、証人尋問を経ずに判決となった。捜査官のミスがあって、例えば信号が赤を青にされたらとんでもないことだと私たちは思うのですが、最高裁の判例が7件ほどあって、捜査官のミス、警察のミス、検事のミスというのは損害賠償請求の対象にならないと。なぜかというと、捜査を定義して「捜査は公共の秩序、社会の秩序の為にやるのであって被害者の為にあるのではない」と断じている。それで被害者の法的救済をはねつけてきた。被害者の世界では警察官のミスで信号の赤が青となるのは当たり前です。でも裁判所では捜査のミスの法的救済を受け付けない。被害者だけが延々と苦しむ。
 もう一つ、味方の検事が今や敵です。利害関係が対立してきている。だから、相談を受けた事件で資料を載せていますが、検事が二人交代した事例がある。小学生の男の子が横断歩道を渡っていたら、T字路交差点をトラックが交差点にかかるところを右折しようとした時点で、子どもがトラックから見たら左から右へ横断しようとしたところ、右折のトラックに撥ねられた。信号の無い交差点を歩行しようと、横断間際で右折のトラックに撥ねられた。こういう事例があるのかと私たちが聞いても驚く事例ですが、その時目撃者が一人いて、運転者は無線をしていてよそ見をしたというのです。よそ見をしていたから、こういう事故が発生する。ドライバーの視界としては左から右に歩行者の姿があるはずですが、それが見えてなかった悪質な事例です。それで目撃者とかを集め、署名を3万人ほど集め、検事のところに行きましたところ、検事がいきなり「謝罪しに来ないのは加害者だってショックを受けているのですよ。加害者の気持ちを思って下さい」そんな言い方をした。遺族はその場で泣き崩れてた。検事にはやる気がないのですね。非常に冷たい女性検事で、即刻、高検検事長のところに、代えて欲しいと行きました。こんな人にはまかせられない、と。その後、公判になったのですが、やっぱり被疑者はそのことを否認するのです。無線なんかしていない。じゃあ、何をしてそんなことになったのかと言わない。ところが、公判検事も甘い態度です。加害者が黙ったままで公判になりました。黙った若い女性が法廷に立つものですから公判検事が被告人のことをさんづけで呼ぶのです。初めから執行猶予明らかです。それで2度目の検事交代をしました。3人目も実は控訴で一悶着ありまして、実刑になったのはいいのですけど求刑の半分になった。遺族は納得しない。控訴してくれと。加害者は即日控訴したからです。検察庁は控訴しない態度でした。検察庁は控訴しないのが当たり前みたいです。実刑だからいいのではないかという返事でした。高知の2年2ヶ月実刑事例も取り上げ説明をして、「控訴してやってくれ」と頼みこみ、ようやく双方控訴になりました。4人目の検事となりましたが、わしらはこんな事をしている暇はないよというふうな言い方まで、遺族にしてきた。その時の遺族は私にこういう質問をしました。
 「検事はどうしてこんなバカなのでしょうか。非常に高圧的で自己中心的で、感情的で。遺族の心情なんかみじんも理解しようとしない。一方的にまくしたてる。電話で最大限の声で、夫と私に何度も怒鳴る。火を噴くような勢いで、私どもに面談に来いと。いっぺん出した書面も連名にして出すべきだと。自分たちはそんな仕事はしたくない、違う仕事したいのだ、迷惑だというような言い方なのです。最後にこんな人間として欠落した検事ですが、バカも使いようでうまく接していかなくてはいけないのでしょうかと。要するに検事はことごとくなじめない人達ばかりだった。普通の人なのですよ、私から見ても。検察の内部というのはここまでも腐敗しているということですね。2審に際し遺族は検事に協力しなければならないのでしょうか。検事の言う命に従わなくてはならないという法律でもあるのでしょうか」と。
 事例で説明しましたが、要するに、次の問題として、検事さん、あんたあの席じゃないからどきなさいという声が犯罪被害者の中からも出てきている。つまり、検事というのは本当に制裁の役割の代理人として適切なのか、ということです。特に、交通事故は先程から説明している通り、システムの土台が腐ってますからやる気のない副検事が多いから、そこをどいて、私が代わると。かつて岡村さんという犯罪被害者の代表が、そういう法案を作ろうと自民党に持ち込んだ。でも、反対されて結局は被害者の意見陳述権だけ認めてあげると落ち着いた一悶着があった。最近、ヨーロッパの司法制度の視察報告という小冊子を出して、そこで良い言葉がありまして、紹介しますと、「日本では被害者は証拠物にすぎない。ヨーロッパでは当事者となっている」と。当事者は最初から事故の情報とかを知り得るということです。公判に参加したら当然資料が見られるのは当たり前。日本では被害者に恩恵的なこととして捉えられている。一般犯罪被害者の人達はそういう点で非常に悩んでいる。交通事故では、さらに軽く扱われるというのが競合している世界です。だから遺族のストレスはずっと続く。こういうことに国が政策として全く何もしないというのはとんでもない話。そのことを次に説明します。
 原因6。捜査情報非開示問題があります。どんな調書作りや捜査をしているかは、被害者の方にはわかりません。被害者が監視できませんから、被害者に責任を押しつけても良いのではないかというふうに、特に検察庁のほうは、ドライバーは処罰しなくてもいいとしていますから、監視もできない。そうすると、警察がどういうことをするか平気で手抜きをするとなります。検事も、不起訴とする犯人なわけですから、被疑者の調書作成についてどうしても甘い調書となる。そういうところで加害者というものは監視されていませんから言いたい放題です。そういうシステムがあるのではないか。民事上は捜査情報で過失相殺比率に直接影響するし、刑事上も加害者の処分について影響を及ぼします。しかし被害者は、捜査情報にタッチできないので、遺族調書での被害者の扱いは、抽象的に厳罰を望みますとか相当な処罰を望みますとされる。ただでさえ、声を上げないと軽く扱われる。労災事故とか医療事故というのは、事故の報告というのは別に義務づけられていない。交通事故だけは道交法上で人身事故はとにかく届けなかったらひき逃げと言うことで処罰される。だから多いでしょう。人身事故の85万件は。警察が捜査を、あるいは調査を完全に独占している世界です。労災事故とかはどうかというと、労災事故で新聞記事になったら大変なことですよ。労災事故というのはだいたい工場で怪我をしたとかで、警察に告訴したりしません。医療事故はもっと密室。刑事事件となるのは珍しい。ところが交通事故だけは警察が捜査を完全に独占している。そういう意味で、実質的に交通捜査は遺族から委託を受ける関係にあり、捜査をなしているのです。というのは労災事故が起きたら私達はすぐに民事保全手続きというのをしますし、現実にします。機械がそこに有ったりするから、どういうことで労災事故が起こったのか、遺族は証拠保全ができる。医療事故もカルテの証拠保全するのが常識です。交通事故はどうですか。捜査と制裁の処分が終わるまで何も出来ない。見せない、教えない、黙っておれ、の世界。目撃者の氏名住所はもちろん教えない。調査や資料集めから被害者を排除して、自分達がしながら、調査過程を一切教えない。こんなばかげた世界があるのかと思います。司法では当たり前の様にしているのがおかしい。
 情報がなく、混乱しているから、子どもさんの事故で母親なんかさらに混乱する。心のケアという問題を厚生省が扱っていますがウソでして、交通事故で被害者はとにかく混乱している中で、情報を教えないから余計に混乱する。疑心暗鬼になる。こんなこともあるのではないか、あんなこともあるのではないか、夜中寝ていてもはっとする。どんどん心が病んでいく。捜査情報を教えたらいいのですよ。自分の子供の最後の瞬間がどのような姿であったかというのは、親として非常に悩み苦しむ。自分に責任があったのではないかと思う。夫婦で責め合う姿がそこにある。家庭崩壊する場合もある。自分を責めて薬を飲み、自殺する人も現実にいます。私の知っている人でも。当たり前の話です。国はもう無関係とする。なぜか。巨額なビジネスの社会が片方にある。損保が入る。損保に検察や警察OBが就職する。そういう権益がある。不起訴にした割合が一割となったためにどれだけ損保がもうかっているかと思っています。具体的には意図的な利益がからむとは思いません。しかし、巨額なビジネスが背後で無言で動いているのは間違いない。弁護士も犯罪被害者保護委員会の委員長をしながら、実は損保側の弁護士が多くいる。わたしは検事だと言いながら平気で損保の顧問に後でなる。弁護士も加害者である損保の仕事をして私はプロですと言って、被害者事件を平気で受けて看板を掲げる。そういう人達の世界で成り立つ。だから被害者の利益は、被害者自身が守らなければいけない。
 捜査情報を開示しないことでどんな問題点があるかというと、8つほどあります。国の政策の矛盾、当事者の不公平、捜査情報の垂れ流し、捜査独占の弊害、非開示の規制による権益、心のケアとか秘密検察、検察内部に開示OK・・・。
 まず、交通事故は処罰面で国は交通事故を犯罪扱いしないと言っています。本当に犯罪者扱いしない。多少ではなく本当にしていません。すると刑事訴訟法47条の条文を根拠とするのはおかしいのです。刑事訴訟法47条の「訴訟に関する書類は公判開廷前には、これを公にしてはならない」というのは犯罪に関する規定です。でも政府は犯罪扱いしないと堂々と言っています。「情報公開せよ」となります。政策の矛盾があります。不起訴事件を例にあげると、7割起訴率を1割起訴としたため、被害者側の受ける不利益に対する措置は何らされていません。ほったらかしです。例えば、7割引く1割というのは6割です。かつて7割が起訴されたのに、今1割起訴。すると6割は問題がある事件のはず。この6割の人を、起訴以外の何らかの代替措置でしているかというと、そんなことしていない。行政上の免許取消処分は、すぐに回復できる。3ヶ月の免停でも2日か3日の講習で済む。何ら感銘力を与えていない。例えば、代替措置として社会福祉活動させるとか、そういった方法もあるのでしょうが、被害者が納得する措置は何らしていません。だから国として矛盾している政策が明らかにあって、それが堂々と通用している。なおかつ非犯罪化政策がどんどん進んで、今、東京では8%になってきている。
 2番目に捜査段階で当事者間の不公平が起こっている。これを手続き的に何ら救済していない。事故が発生したら加害者側というのは損保に相談したり、弁護士に相談したりする。加害者側は警察と接するから情報を知っています。周りにアドバイスする人達もたくさんやってくる。いきなり何対何ですよと言われたりする。それは損保のリサーチを通じて損保も事故情報を知っている。検察や警察のOBが就職していますから確実な情報です。ところが被害者は知りません。材料がないのに「示談して下さい」と言われます。本当は応じるわけにはいかないのですが、捜査情報がわからないから示談交渉に応じざるを得ない。示談交渉というのは材料がなければ取引上不利益なのです。材料がないところで示談交渉を強いられているのが、今の日本の交通被害者の姿です。いったん交渉でもしたらそれが限界となり、面子となる。例えば8対2の過失といったらそれが上限になる。そういうのが交渉の罠です。本当はしてはいけない交渉です。だから、死亡事故で私は一切そういう交渉をするなと言っています。交渉したことが加害者の刑の減刑材料になる。裁判官も喜ぶ。「交渉しましたか」と。執行猶予をつけたがる。民事では和解をしたがる。1週間判決を書かなくてはならないところを、わずか10分で済む。刑事も民事もシステムの罠が待っている。だから、示談交渉には一切臨むなと。制裁が済んでからと。加害者は刑事処分を軽くしようと、全力のたたかいがある中で、材料を仕入れるけれども、被害者には何も知らされないまま、武器もないまま受け身に応じざるを得ない、となる。日本の弁護士の中には、被害者側で、損保の調停とかにのこのこ行く人が多い。仕事が受け身ですから、わかっていない。私が遺族に勧めていることは、「一切のるな、聞くな、話をするな」。話をするなら事故のことについて、真実かどうかだけ聞けと。それが正しい今の日本の被害者の対策です。
 また、捜査情報の加害者側への垂れ流しがある。資料7を見て下さい。損保調査報告書というのがある。山口県のある道で、大企業の役員の人が、信号のない横断歩道、夜は赤点滅になるのですが、そこを歩いていたら車に撥ねられた。目撃者がいない事件でしたから過失は結構あって、一審で請求棄却になった事件を私は控訴審から受けたのです。調書を読むとおかしいのです。加害者の言い分通り、例えば、お盆だったのですが、野球部のOBだけで集まったのに「飲酒を伴わない送別会をやりました」とか言ったり、東京から新幹線で来たのですが、事故が有って10時間くらいかけて夜中について、「前夜は良く眠れ、疲れていません」とか言い訳ばかり書いてある調書でした。控訴審で損保側から初めて損保調査報告書というのが出てきたのです。調査報告書というのが出まして、実況見分の2日後に警察からこんなことを聞いたと。資料の3ページ目に、実況検分の数字が入った図面があります。これは寸分違わず実況見分調書の数字と一緒なんです。実況見分の2日後にです。こんなことは日本では許されていない。これを平気でやっている。そして平気で損保も出して来た。情報取得が当たり前なんですね。警察では、情報の垂れ流しを現場で平気でやっているのです。損保は下請けとして、損保リサーチという調査会社を各社持っています。全部調べています。巨額なビジネスの世界です。損保はどうして生きているかというと、支払いを渋ることで生きている。そのための材料が必要で、そのための接触をする。任意的な個別のつきあいではないはず。毎日のことですから警察と仲良くなる。で、こういうことを教えている。数字まで一緒というのは謄写して渡しているのです。私達が事故の情報を知るのは一年以上経ってから。その時にはもう遅い。情報の垂れ流しを警察や国がやっていて何とも思わない。時々、体裁を取り繕うように警察官が捜査情報を流した、摘発されたという事件がありますが、あれは毎日やっていることです。表にでないだけ。ついでに言うと、損保弁護士さん達もこういう仕事をしている。捜査書類から情報は見ない。損保報告書、損保会社の担当者の情報を信じる。そういう世界です。それが当たり前。早いし確実です。
 捜査情報の問題4、警察の捜査独占。これは先程説明しましたが、問題は何で独占しておきながら遺族に情報を出さないのかです。交通事故で、遺族が証拠保全をする過程に入らせない。そこで警察が勝手に捜査をする。警察と言うところはもともと明治時代から独特のルールがあって、誤りがあっても認めない無謬主義という、日本独特の警察文化がある。だから独断と偏見の捜査がまかり通る。交通事故は非犯罪化政策となってるので、警察は被疑者の供述を中心に初動捜査だけで終えようとする慣例が出来上がっている。特に、交通事故は検察が捜査から撤退していますから、検察が検証をしません。だから本来だったら直接、当事者の遺族に検証させなければいけないのですが、そういう道が閉ざされている。警察は適正な捜査と開き直るのです。7年目の事件をやっていますが、時間も過ぎ遺族は孤独ですね。どんどん警察の人も変わる、目撃者も覚えていないとなる。
 捜査情報の5番目の問題が規制による権益問題です。規制あるところに権益が発生します。開示しないから開示せよというのは消極的な被害者側の問題ですが、それだけに止まりません。開示されないところで捜査官の権益の巣となっている積極的な弊害の問題があります。権益というのは例えば、警察OBの就職の受け皿だけではありません。事故状況調書を少しねつ造しても、誰からも責任を追及されないとの権益もあります。3日かかるところを10分で済ますとか、死者に口がないと、被害者に責任を押しつけたらそれで終わってしまうという事案です。不起訴事案について警察や検察がが追求される場はないです。調査会社の就職に警察、検察のOBが多いというのは明らかになりませんが、実際にはある。損保や調査会社がそういうことに介入することになりますから、加害者の情報が捜査過程にインプットされるし、加害者側の圧力が捜査にかかる。当然です。加害者側が政治家を使って何とかしてくれというのは、そういうところにある。被害者のせいにしたらいいのですから。加害者と警察のそういう取引社会になっているのが初動捜査の姿です。被害者だけが知らないところで、こういう取引社会となっています。
 6番目に、心のケアの問題。弁護士という立場で事故発生直後から相談を受けます。自分を責めるという母親の姿が良くある。朝、元気だった子がいきなり死亡と知らされても現実感がわかない。夢のような状態がずっと続く。混乱するのは当たり前ですよね。自分の気持ちに納得するというところまで時間がかかる。病気で入院されていた場合と違い、朝、元気だった子が夜、警察から死亡されましたと言われても信じられるはずがない。混乱するのが当たり前。ところが、それに加えて捜査情報が開示されないために余計に混乱する。真実がどうだったか、落ち度があると言われているとか。余計子どもに対する責任感が湧きますね。親にしたら、最後の姿が分からないというのは我慢できないし、何とかしたいと現場に何度も通われる人もいる。情報が与えられないから余計に悩みが巡回して精神的に追いつめられていく。本来、こういう仕事というのは警察や検察の仕事なのですが、情報公開しないのが当たり前とされている。心のケアは放置されたままです。国は被害者対策室というのを設けていますが、そこまで踏み込んでいないのが本来の姿で、現状は小手先の対策になっている。
 7番目に捜査情報の問題として、刑事処分後の開示がありまして、実は、刑事裁判が終わって判決が実刑になった、じゃあ捜査記録を見せますと、捜査記録を私達は見ます。そうしたら不思議なことに目撃者のところの住所が消されている。刑事裁判が終わっているから開示しても問題はないと思うのですよ。ところが目撃者の住所が消されて、ひどいときには氏名も消されている。何でこれを消すのですかと聞いたことがある。そういう扱いですから、とか、全国的な扱いですからと。「扱いというのは違うだろ」と言ったほどです。「民事裁判するのに目撃者を呼んで証人尋問するのにこれではわからないだろう」と。記録を読んで裁判しようという人もいますよね。例えば共同不法行為で2台衝突されて間接的に被害を受けた場合など、目撃者の部分が消されていたら事故の目撃証言が聞けない。だから、国とか裁判所とか検察はいいのでしょうが、被害者が本当の事故の真相をもう一度確認したい、目撃者に聞きたいと言っても住所がわからないからどうしようもない。つまり、被害者や遺族の民事救済の道を国が閉ざしているのです。秘密検察というのですか、自分達がした(供述調書作成等)ことは正しいのだという、おごりの体質です。書類を見せる、見せないは検察ですから検察に問題がある。目撃者探しをするなと、捜査は絶対だとする体質が検察にあるのです。遺族が目撃者に聞いて、調書が本当だったか確認させることを妨害している。もっとも、検察庁もプライバシー保護という言い分を用意しています。しかし刑事裁判までなった事件でプライバシー保護もないですね。被害者の知る権利というのは、公判事件となって終了した場合でも、こういうことで閉ざされている。それが当たり前に通用しているのが不思議です。捜査に誤りはないとする、独断的な無謬主義がある。明治時代的な官僚絶対という、警察は間違いない、検察は間違いない、そういうことです。刑事公判になったら記録を見せてもらえばわかりますが、民事裁判でも目撃者のところが消されている。それが資料の8。私の手許の刑事記録からとったものです。名前や住所を消されて教えてくれません。捜査は絶対に正しいとする警察と検察のおごりがあるのです。『わしらの捜査が正しい』と。だから多少の鑑定とかでは変わらない体質がある。裁判所もそう。基本的なところは被害者排除と捜査絶対観です。
 捜査情報開示8番目に情報開示問題。被害者、遺族の間でも非常に切実な声だと思うのですが、なかなか代理人の人達とかは声をあげない。弁護士もそう。交通事故のプロは損保の代理人なのです。事故態様を争わないグループです。警察の調書が真実とする。一番最初に言いましたけども、日本の弁護士がやる事件、国選弁護事件なども、事故の対応を争わない、情状弁護だけ。家族や親戚を連れてきて、これから反省しますということをするだけ。だいたい罪について争わない、調書について検討しない。それが交通事件になったら被害者側で見なくてはならない。遺族は事故態様を争う場合がほとんど。しかし弁護士は争わないという癖がついている。自分たちはプロだというおごりがあり、被害者の言うことはこだわりにしか過ぎない、かえって説教する弁護士もいます。プロじゃないのです。本当は遺族がプロです。警察よりすごい執念がある。だからそういう人達が現場でやっていますから、調書のここがおかしい、あそこがおかしいという、捜査の弊害はなかなか出てこない。本当は声をあげなくてはいけないというのは、代理人ですけどね。遺族は難しい調書など読めないですから。損保の事件をして情報を損保の担当者や損保調査会社から得たりしているから声をあげられない。検察官の悪口を言えば、自分がどんな目に遭うかわからない、と不安感に怯える。検事交代なんかとんでもない。検事交代、私は4人ほどやっていますが、何もないです。副検事が仕事しないから代えろと言っているだけです。調書に不正があったら声を上げなくてはならない。だから捜査情報を開示しないという問題と、非犯罪化にしようという扱いの政策の中で、交通事故の捜査というのは本当にどうなっているんだろうなというのが次の問題となります。
 捜査情報開示の問題に関して言うと、検察の一部にも交通事故だけは情報公開してもいいというトップの意見もある。交通事故の本当の捜査というのは、被害者と加害者の過失を決めるような捜査になっていますから。そうでしょう、交通事故を犯罪者扱いしないのですから。じゃあ、警察は一生懸命何をしているのだというと、過失があるか無いかと。そういう目で国が見てくれたらいいのですよ。情報公開して。そういう意見もある。だからもし、捜査情報開示問題の声をあげて、制度として通用しろと言うのであれば、ここに着眼したほうがいい。交通事故の犯罪捜査というのは非犯罪化している。だから開示しなさいよと。実体は警察官が一生懸命捜査して、エネルギーや費用を注いだというのに、それを不起訴としたまま葬るのか、何でゴミ箱に葬るのか。被害者が一生懸命悩んで取り引きすらできない。今日は柳原さんがこられていますが、前にアメリカの事故情報は2週間や3週間で開示されると報告されたことがありました。当たり前ですよね。事故の処理はビジネス交渉ですから。亡くなった直後に、あるいは、事故があった直後にビジネス交渉が始まる。そこに材料を持たない交渉を被害者にさせるというのは、国としてバカですよね。当たり前の話ですよね。
 原因の7。最近私が関わった事件でも警察の調書が勝手に、被害者の信号が青から黄色信号とされたりしている。あるいは警察が勝手に加害者の過失をゆるくする書類作りをされているということです。
 原因の8 裁判所
今までは検察とか警察、法務省の問題でしたが、裁判所と弁護士の話をします。最終的に被害者は裁判所に訴えるしかない。裁判所はどうかというとまず、業務上過失致死の刑事裁判、損害賠償額決定の民事裁判、それから捜査に違法が有ったとか、実況検分での捜査ミスとかいうのを訴える国家賠償裁判、この3つがあります。
刑事裁判ですが、ようやく被害者が記録の謄写が出来るようになった。記録の謄写というのは、捜査内容を知れるということです。しかし、ほとんどの刑事裁判を迎える遺族に聞いても、裁判所側ではほとんど尊重されていません。自分たちが横の遺族間情報で他の遺族から聞いて、謄写が出来ますよと教えられる。
 次に許された謄写も時間がかかる。ところが刑事公判事件というのは、あらかじめ弁護士と検事と裁判官、3者合意で、2回にしようとか3回の予定とか決めている。被害者の記録を見る時間は考慮していません。 言うと1回か2回は延びる。この対策としては、記録を読んで被告人が公判の時の言い分を聞いて私達は反論したいと言えばもっと延びる、そこら辺の対策論かと思います。加害者は公判でまた嘘を言うこともありますからね。だからそういう形で被害者の声が出るような形での運用を被害者自身がとるしかない。
 検事は、時として遺族に対して、上申書を出しなさい、書面出しなさい、意見書の内容を教えなさいと言います。でも、これは明らかに検閲のようなことなんですね。被害者の声は独自に出さなくてはならない。検事が調書をねつ造している場合だってあるし。裁判官と弁護人に対する顔も立てないといけない。そんなことをこっちはかまっていられませんから。検事も遺族と敵対する関係にあるのですね。
 次に民事裁判。民事裁判というのは、東京、大阪だけで交通部がもうけられ、他の所はありませんが、東京地裁が中心となってマニュアル本が出されている。損害の画一化ということでどれだけ慰謝料が多くても3000万円が上限。ひどい場合は、本の通りにしなさいと一家の大黒柱が2500〜3000万円、子どもが死んでも2000万円までですよとかね。勝手に言う。弁護士もそういうふうに言う。それは間違いですよね。死亡による慰謝、精神的損害というのは別です。ずうっと悩む母親もいるし、5年経っても治らない人もいる。それに応じた慰謝料が本来審理されるべきです。現実はそれを非常に無視される。若い裁判官しか交通部に配属されていません。正義感を持った裁判官というのは他の部に回される。ひどいのは和解を勝手に勧める。勝手に和解案を持ってくる裁判官がいる。それで仕事が終わるから。マニュアル通りにして和解をどんどん進める。弁護士もそれに応じる。批判ばかりしているようだが、損保弁護士は加害者側ですから和解はありがたいが、被害者側になったら前に和解していたら断れない。裁判官に「あのとき先生、和解をしましたね」とか言われる。被害者を無視した司法システムが慣行となっているのです。
 交通事故の民事裁判で、検事調書、警察調書をねつ造だと、民事裁判で提訴しても、主張どおり納得できないと認定されますが、決定的な心証まで得られないというのは裁判官には当たり前と思うのですね。警察官に聞いてもねつ造だと言わないし、検事には尋問の呼び出しさえかけない。その中で、被害者、遺族に残された別な道として、捜査にミスがあったとして、国家賠償請求を起こしたのですが、大阪府と国が、最高裁の判例というのは捜査ミスがあった場合にどうだっていうのを出してきました。最高裁は捜査ミスがあっても慰謝料請求の対象としない。だから交通事故の形式的な捜査過程でねつ造があっても、取り上げてくれるところがないという結論になる。おかしいでしょ。だから捜査絶対とする価値観、それから先程言いましたように、本来であれば被害者が捜査過程に入らなければいけないし、当事者でなければいけない。捜査というのは社会秩序のためであるけども、被害者のためにあるんです本当は。それを正面から向き合わなければいけない時代になってきている。ヨーロッパ各国ではそうなっている。日本だけが明治時代的発想で通用するというのはおかしい。捜査は監視できないし、捜査に不正があるとわかっても被害者はその救済さえ受けられない。だから、加害者天国ニッポンとなる。結論的に言うと、裁判所というのは被害者保護のための砦、人権侵害の砦でなくて、被害者虐待のためにやっていると思います。何のためにあるのかと思います。被害者保護運動が取り上げられたのは最近のことでしょう。
 弁護士の問題や対策論もありますが、別の機会に話します。ありがとうございました。