なぜ、今捜査情報の開示が必要か? KSR講演

平成15年9月  弁護士 松 本   誠

前置 私は縁があり、被害者側から相談に応じてきました。これまで時間の大半を遺族の相談や事件処理で過ごしてきて、遺族が真剣に悩みながら、警察や司法が問題にしていないシステムが存在すると気づくようになりました。交通処理過程における被害者排除システムです。その中に捜査情報開示問題があります。2年前加害者天国ニッポンで、遺族の置かれた不条理な世界を説明しました。捜査情報が開示されないことほど不条理で遺族や家族を苦しめる事はありません。被害者を排除し、事故を軽く扱うシステムは情報が開示されないことによって、ますます遺族を苦しめているといってもいい。交通事故被害者に2次被害を生んでいる根本原因です。
 今、交通事故は非常に軽く扱われ、警察は極めて事務的で、既に犯罪扱いしなくなってます。交通事故は形式上は犯罪でも、事故が発生し始まる捜査は犯罪の捜査ではありません。何故か、交通事故の処罰制度と密接に関連してますので説明しますと、人身事故は年間90万件発生し、処罰面は、たとえば加害者が千人いて、900人が不起訴で実質無罪、90人が略式命令の罰金、10人が正式裁判で9人が執行猶予となり、1人が実刑となる。日本の交通事犯の処罰実態です。ここ15年の検察の起訴率低下は昭和61年の73%が今や11%と下降カーブで、あまりにひどい。検察庁は仕事をしたくないというデータで(年金資源を食いつぶす厚生官僚などごくつぶし官僚があるとすれば)交通検察は手抜き役所といえます。検察が処罰で軽く扱うから、当然警察の士気もなくなりますし、加害者の処罰も軽くなります。背景に、検察や法務省の交通事故を犯罪でないとする交通事故非犯罪があります。交通事故がなぜ軽く扱われるか、は北海道で話しましたが、国が犯罪扱いしてないことにつきます。この政策があるため、加害者の供述に沿う捜査体制が日常化しています。加害者を大事に扱い、逮捕しない、その供述通りとなることを意味します。特に交通死亡事故や重度後遺症事案は、死人にくちなしとする加害者寄りの捜査が横行し、孤独で必死な思いの毎日で、戦いをされている遺族や家族が多くなっています。自分で事故にこだわり、或は警察に突っかかり、弁護士を罵倒し、検事に不信感をもたれ、いろんな努力をされた方もおありと思います。 5年前、柳原みかさんのアメリカの捜査情報開示の記事を読んでショックを受けました。『被疑者や目撃者の供述が事故レポートとして事故から2〜3週間で事故関係者に開示される』と。
 3年前、毎日新聞も取り上げました。『どうして日本では捜査情報を開示しないのか理解できない、開示しないなら、警察が隠してるんじゃないか、と勘ぐられるのがおちだと』とアメリカの警察幹部の話です。
 日本ではアメリカと正反対で、何にも教えない、目撃者の名前もいわない。遺族が勘ぐるのが当然です。どうして全く教えてくれないのか、裏取引がなされているのではないかと。事故のショックに、悩みが続きます。交通事故は加害者側が政治家を登場させる機会でもありますから、加害者側は揉み消しをはかっているのではないか、と毎日疑います。肉親の死亡原因について、悶々と悩む。捜査情報が開示されないことは遺族や家族に、警察と司法に不信感を与えます。不信感を持つ遺族は多いのです。市民が司法や国を疑うというのは国にとっても不幸です。

本題1 なぜ捜査情報が捜査段階で開示されないか?
 刑事訴訟法47条『訴訟に関する書類は、公判開廷前には、これを公にしてはならない』が根拠とされてます。
 理由は、捜査段階で情報が流れると、犯人が証拠隠滅したり、関係者が目撃者に接したり出来ますから、これを防ぐのが目的です。捜査に支障があるからあらかじめ捜査情報は開示しないとする捜査側の視点があります。被害者のある犯罪、過失犯罪ときめ細かくしていないのがそもそも問題ですが、交通事故で捜査情報がまったく流れていないのかというと、実はそうではない。加害者が捜査過程に既にいますので、加害者側は情報を得やすい立場におりますので、現実には、警察官の訊問態度から捜査情報を得ています。加害者は刑を減刑するために、必死に情報を得ようとし、市会議員を使う風潮も現実にある。規制あるところに権益ありで、議員や警察との馴れ合いや依頼が実に多くある。警察官も政治家と親しくなる。制度面で、自賠責保険の調査は簡単に捜査情報を入手し、免責決定したり、保険金額も決めたりする。任意保険でも、加害者側損保は損保リサーチ等を通じ、独自に秘密資料を必ず入手します。私自身の仕事でも、遺族が2年後に入手した実況見分調書図面が、損保は実況見分2日後に既に入手し、それを提出したのを裁判で経験しました。
 事故発生直後から始まる被害者と損保の交渉でも、実際は捜査が完了しない段階で、過失が何対何、と比率割合を決定したように交渉を損保はする。加害者側は情報を入手済みです。
 ところが被害者側に情報が何も伝わらない。交渉でみると不平等なのに、国がこれを放置しているのです。司法はどうか。交通事故実務は、損保弁護士が被害者で担当しており、問題はほとんど議論されておりません。日弁連交通事故委員会、東京地裁27部を中心の学会議論でも、何が議論されているかというと、損害のマニュアル作り。実際に被害者は情報入手が何よりも欲しいのに、マニュアル作りです。司法で捜査情報開示の問題は不起訴事件について一部語られることはあっても、捜査情報開示が根本的に議論されていません。遺族や家族こそ交通事故問題のプロという思いがします。捜査情報開示立法を求めるのは、刑事訴訟法47条を根拠に開示しない司法の慣行は不当で、硬直した司法界への強烈なメッセージです。

本題 2 なぜ捜査情報開示が遺族に必要か
遺族の知る権利の確保のためです。憲法21条が根拠です。 遺族は、事故の瞬間から事故の原因を知りたい。独自に調査をする。被害者が死亡しているので調査をします。ところが、警察に聞いても何も教えてくれない。目撃者が誰かさえ言わない。つまり口を封じることさえ平気でやる。教えたらだめといわれる。
 遺族は死亡事故の当事者ですが、遺族が調査をしてはいけない建前となっている。当事者でありながら、何にもできない、何にも教えてもらえないというのはおかしいのです。事故の直接の当事者です。当事者である以上、正当な制裁を求め、或は民事賠償請求の権利があります。権利がある以上、そのためにすぐに事実を調査し、証拠を保全できなければなりません。処罰のため、民事交渉のため、事故直後でないと困るのです。目撃者の記憶も消えるし、物も道路痕跡も無くなる。ところが交通事故は、交通事故は必ず警察へ通報しなければならず、警察が捜査を独占している。だから、警察が捜査をしたらすぐに遺族に開示しなければならない関係となるはずです。被害者や遺族は反射的利益として、捜査情報を捜査側から受け取るのではありません。実質的に警察へ捜査=調査を委託している関係にあるから、受け取る必要があるのです。国が、交通事故について、調査権限や証拠保全権限を遺族から取り上げているから当然遺族に渡すべきが、当然となります。捜査の実質は、被害者のためにあるのです。無論、捜査は社会秩序の為が当然ですが、被害者との関係で被害者から委託をうけていることは、実質を見れば一目瞭然です。交通事故は無関係の人同士の事故で警察は必ず介入します。ところが医療事故、労災事故は警察が入るということはあまりない。特殊な内部社会です。労災等の事故では証拠保全もできる。ところが交通事故だけは証拠保全は100%できない。しかし、事故捜査の実質は調査であり、民事の証拠保全です。警察の捜査は被害者から委託されている関係にある。だから刑事訴訴訟法47条が犯罪一般に通用し、交通事故にも適用されるというのは、おかしいのです。被害者がいる交通事故では、捜査情報は早期に被害者や遺族に開示されるべきです。
 また刑事訴訟法47には、例外規定が設けられており、公益の為に必要なら捜査情報開示開示あると示唆しています。運用は今極めて硬直的ですが、交通事故について規制すべきではありません。
捜査情報を開示して弊害あるのか
 交通事故ですから故意犯のように証拠隠滅等の可能性は、ありません。公道で発生した事故です。加害者や目撃者のプライバシー侵害と言う問題も、切実な被害者の知る権利侵害の問題の大きさに比較すれば小さいはず。捜査情報を被害者に開示しない理由は通用しません。遺族が交通事故を隠蔽したりはするはずもない。
 検察の開示の実務でも正式裁判されない略式裁判による罰金では、処分後に捜査書類は開示され、不起訴事件も処分後に実況見分は開示してます。検事が検討し終えたから開示してもいいとのことでしょうが、実質的には被害者の権利侵害の問題なのに、検察法務省は無頓着です。自分達が検討したから開示すると言う態度です。しかし処分後でさえ、永久に最後まで開示しないのもあります。例えば悪質事故の刑事裁判終了後も、調書の目撃者の住所や氏名が開示されていません。被害者が謄写をしても、付箋で隠されます。私は奈良地検でこれをされたため『どうして遺族が証人尋問する権利を奪うのか』と検察の記録部にくってかかったことがあります。目撃者の氏名や住所を最後まで隠すのは何を意味するかを考えると、被害者が独自に目撃者に会ったり、確かめたら駄目と、検察や法務省はしているのです。『警察の目撃者聴き取りは絶対に正しく、官憲の捜査に絶対間違いはない。市民が調べたりする事はけしからん』との国の姿勢が見えます。
 今だに通用する捜査文化があるのは不幸です。過失犯の場合に捜査情報を隠すメリットはなく、開示しないというのであれば何か。そこに日本の捜査絶対とする価値観の体質が出ております。査は正しい、不正な捜査などありえないとするおごりであり、捜査官憲に文句は言わせないとする押付けです。だから開示しません。開示すれば、警察官の誘導ばかりの調書が出てくるからまずい。不祥事となる。最近は、警察官の個人的体質を疑う不祥事が多発しております。こういう人がチームの中にいるわけですから、不当な捜査がなされていないわけがありません。捜査をする警察が正しいという姿勢しか見えません.
 警察の仕事文化と交通事故を軽く扱う体質とが合わされば、どういうことが起こるか。私が担当している事件で現在継続中の事件でいいます。
(1) 平気で実況見分に嘘がねつ造されます。虚偽記載があります。岸和田の事故ですが、小学1年の子供さんが歩道から落ちて、トラックに轢かれた事故の図面では、1人しか通行できない幅なのに、児童が3人横一列に並んで走行していたとされていました。明らかに客観的事実と異なるのに平気で嘘を記載している実況見分調書です。
(2) 姫路の事件では、【被害者の信号は黄色】と被疑者の実況見分に記載されたがために、民事で熾烈な過失相殺の争いとなりました。加害者が民事法廷で正直にいうには【警察官が黄色だったはずだといわれたので、黄色とされた】と先日法廷証言したため、判決も被害者側信号は、【被害者の対面信号は黄色ではない】と認定しました。言い渡しが先日あったばかりの事件です。
警察のずさんを示す事件が以上です。
検察はもっとひどい。これなどは、遺族が最近捜査記録を点検できるようになったため、判明した捜査の不祥事となります。
(1) 今年6月に奈良で副検事交替を申し立てた事件があります。警察調書では、加害者が『右折の時徐行した』とありました。ところが、副検事が『右折の時1時停止した』と実況見分を変更していました。副検事によるねつ造としたのが検事交替の理由です。新聞は『死に損や』と検事に暴言を言われたとありましたが、高等検察庁の検事交替のコメントは『捜査に公正を抱かせる行為があった』とありましたので、違法な捜査と認めたものと思います。
(2) 今年8月にも、検事交替が認められた京都の交通事故事件を私が担当しました。11月の夕方6時過ぎの死亡事故で、信号のない交差点を歩行者が横断中に、横から自動車に衝突された事故でした。公判となった事件ですが、公判の当初、加害者はライトをつけていたと供述でした。このとき、検事の態度がやる気もないので、検事に遺族が面会を求めましたところ、検事は遺族に対して『どうして厳しい処罰を望むのか、そこまでやらなくてもいいでしょう。』と怒られたというのです。まるで弁護人のように遺族をいじめる姿でした。公判事件でしたので、記録を謄写し、見ましたところ、3名の目撃者の供述にライトの点が記載されていませんでした。遺族が目撃者に連絡し、話を聞くと加害者の車のライトはついてなかったというのです。加害者が嘘をついていたことが判明したので、高検検事長に捜査をして欲しいと申し出て、検事交替も申立て、認められた事件です。
 ちなみに、検事交替事件を私は4件ほどしております。最近はひどい。公判事件で加害者をさん付けで呼び、加害者をかわいそうだと言う検事さえいる。交通検察の現場です。捜査記録を開示しない弊害です。交通事故を極端に軽く扱うのが国の姿勢で、捜査情報が被害者に流れないことで、あぐらをかいてずさんな仕事が横行してるのが捜査官僚の事故捜査の現実です。事故態様にこだわりをもつため、加害者が嘘をいい、警察がこれを庇うという疑いを常に持って、相談に応じることで出てくる回答が捜査のずさんさです。逮捕もされず、従来と同じ生活をしている加害者が本当のことをいうわけがありません。処罰を免れる為、いろんなことをしているはずです。それは見えません。捜査を疑う、そういう目で記録を洗わなければならないのです。しかし、遺族は素人ですからそんな事は出来ない。司法も一旦出来た記録は正義として通用してしまう。捜査情報が開示されないために、交通事故の捜査の虚構の世界が通用しているのです。
 交通事故は犯罪の面で故意的犯罪でないので動機の裏付けを取り、関係者から話を聞いたりする根回しは一切必要ありません。公道で発生した一瞬の出来事がどうかだけです。犯罪が成立するかという要素より事実がどうかという要素です。法務省は交通事故は犯罪でないと宣言し、検察の不起訴主義を容認し、ますます交通事故の捜査は犯罪として追求する姿勢はありません。捜査の現場は事実がどうか、と事実調査の様相、過失割合の調査を呈してます。どうして捜査情報を隠す理由があるのでしょう。
 警察の不祥事が問題となったのは、5年程前です。神奈川県警などありました。今また警察官の犯罪かと思うくらいで特有の事件ではなくなってきました。しかし個人的な犯罪や飲酒運転は取り上げられますが、不当な捜査がなされていることの報道が少なすぎると、思われませんか? 警察官に、組織的不祥事あり、個人的犯罪が多発しながら、これらの警官が担当した捜査がどうかは報道されていない。開示されないからです。
 捜査の不手際があっても、【適正な捜査がなされた】といえば通ってしまいます。明らかに不当でも、不当と判定するシステムがないから居直るのです。先日の根本事件がそうでした。3回も実況見分やり直したにもかかわらず、捜査は適正だった、が警察の弁です。どう考えても不正な捜査がなされたと世間は思うのですが、警察の捜査は糾弾されません。横暴、開き直り、今の交通警察の被害者に向けられた態度ではないでしょうか。再三問題が起こっても、警察は適正な捜査がなされた、といえば許されるのが捜査システムの現状です。警察は捜査の不正を絶対に認めません。すると検察が警察に対し何かいうのかというと、これもチェックしてません。記録を見ようと努力する姿勢はまったくありません。それじゃどうするか。裁判所は救済してくれるのか?
 もし、捜査の不正があってもお願いしますという方式による警察への告発はどうでしょう。自浄能力がないから期待出来ません。
 訴訟はどうでしょう。実況見分の不正が行なわれたため、民事上の過失相殺が不利と決定したという場合や、実況見分の不正があるので、遺族が調べ目撃者に聞いたりした挙句にようやく実況見分のやり直しをした、などです。違法捜査による損害賠償を請求するのです。
 不正捜査の裁判の、裁判所の結論は『捜査は公共の秩序維持のためにあるのであり、被害者のためにあるのではない』として、捜査の不正のチェックをしません。すると不正な捜査は通用するのが当たり前となります。警察はどこまでも横暴となり、過ちを過ちと認めない警察の無謬主義という悪しき組織文化が栄えます。 不正な捜査のチェックを裁判所でさえしないのであれば、遺族に事前に捜査情報を開示させるべきだとなります。開示立法の必要はこれが決定的かもしれません。かつて人身事故73%起訴の時代が今10%です。国が交通事故を犯罪扱いしないから、警察も事務的となるのは当然です。捜査実態は、軽く扱い、被疑者寄り、初動捜査で決定、被疑者供述に沿う捜査で終了となってる。被疑者から聞けば書類はすぐ出来、自ずと加害者供述に沿う捜査となります。警察絶対の交通捜査の実態です。人身事故はほとんど無罪扱いされ制裁の面で被害者は回復しがたいショックや被害を受けるのに、捜査過程は一切知らされません。国が加害者を処罰せず、かつ腐敗した警察官が事務的に加害者の供述で捜査書類をまとめるプロセスは、我慢の限界です。ここに捜査情報の即時開示を求める理由があります。腐敗した交通警察や交通検察はもはや信用できません。加害者の供述に沿う捜査記録は信用できません。
 遺族が事故早々に検証しなければ、被害者や遺族の権利はますます侵害されていくばかりです。