ある被害者の遺族―富山の大久保さんの例―
平成12年9月22日 弁護士 松 本 誠
富山の大久保さんが12年6月3日の毎日新聞夕刊で紹介されていました。
大久保さんは子供さんを交通事故で亡くされた富山の方です。
マスコミにもたびたび登場しており、被害者の遺族の間では有名な方です。
記事では、「被害者に血の通うケアを」との題で、遺族は一生癒される事のない傷を抱えながら生きている、という実情を社会に訴えていく大久保さんの姿勢を犯罪被害者のカウンセラー活動の面に焦点を当てた紹介記事がありました。
交通死の被害者遺族が声をあげる事自体難しい社会状況があるなかで、被害者運動としては非常に地味であるけれども説得力のある運動として被害者へのカウンセラーや、犯罪被害者同士のコミュニケーションの場として「小さな家」を提供し、被害者支援活動を続けられる姿の記事がありました。
12年9月18日の毎日新聞朝刊の記事に再び大久保さんの紹介がありました。
長期免停者講習の場での講習をされる大久保さんの姿でした。
大久保さんが白紙の紙を両手で丸めて、その紙を差し出して、「私達はこの紙に出来たしわを伸ばす生活をしています。息子を失い、心に刻まれた、しわを伸ばすのです。元の生活に戻そうと。でも、しわは
一生消えません。」というと、聞いていたドライバーの何人かがうつむいたそうです。
最初に講師の話を持ちかけられた時、大久保さんは事故のことを思い出したくない、との事で、戸惑われたそうですが、子供の人生がなんであったのか問い続けたい、と思いなおし、引受けられたとの事です。
被害者が声をあげねば、変わらないシステムがあるという現状でこの大久保さんのような地味な活動は本当の被害者運動の原点であるように思えます。
こういう被害者がいる一方で、行政や国のレベルはどうでしょうか。
警察や検察の交通事犯への士気はどうでしょうか。
警察のひき逃げ犯の検挙率は昭和60年までの90%以上を大幅に割り、年々下がりつづけ、平成11年にはついに63%となっています。
検察はもっと深刻です。
昭和60年には交通死亡事故での被疑者への不起訴は100人に1人でした。
それが9年後の平成4年には100人に10人となってしまっています。
データを単純に言えば、やる気は警察が30%落ち、検察は10分の1に落ちてしまったのです。
もともと検察は交通事故の軽傷事犯は起訴しない方針を60年から開始したのですが、これをいい訳にして、交通検察の現場は死亡事故などの重大事故についても、手を抜いているのです。検察などは無惨といっていいほどの数字ではないでしょうか。交通検察の捜査とは事件を不起訴にするだけの仕事となってしまっている、といっても過言ではないでしょう。
今、交通死傷者数が106万人となり、1年間で6万人も増加したにも関わらず、行政側の姿勢に危機的状況とは映らないようです。
被害者の声を運転者側のモラルに反映させる制度として、長期無免許者に交通死被害者遺族の生の声を聞いてもらう機会を増やす機会を設ける事は大賛成ですが、被害者遺族の心をオープンにする以上、行政も心して交通事故の撲滅に取り組む必要があるのではないでしょうか。
特に検察や法務省はモラルの見張り番として今は役割を放棄しているとしか、被害者には映りません。交通事故撲滅に向けた士気の高揚こそが今、必要なのではないでしょうか。
大久保さんの声を本当に聞くべきは、交通捜査を担当する検察や警察官であるような気がします。モラルは運転者のみの問題でなく、捜査を担当する検察官や警察官に向けられているのではないでしょうか。