交通死遺族に捜査情報の即時公開が必要な理由
(捜査や検察の起訴の適正という面から)

弁護士   松 本  誠

1、犯罪被害者の中でも交通死の場合、遺族の立場や事故の捜査状況
が特異な状況にあることが一般的に知られていない。というのは、一応の捜査がなされているし、保険も完備されているではないかとの誤解の声が一部あり、実態についてはよく知られていないのである。著しく士気の低下した捜査を遺族が監視するために、捜査情報の即時公開が必要であるという点について、交通死遺族の立場から説明をしたいと思います。
2、急激なる寛刑化
・交通事故では、業務上過失致死・致傷罪での検挙件数に対する起訴率が1980年代前半までは7割前後で推移してきたが、法務省が87年に「国民皆免許時代に交通事故で多数が刑事罰の対象になるのは好ましくない」として、必罰主義を転換した。このため起訴率は急速に著しく低下し、昭和60年代の70%台が平成9年には14.6%となった。いわゆる「寛刑化」現象であり、わかりやすくいえば、交通事故を起こしても何ら罪に問われないのが原則となってしまったのである。
・仮に裁判になったとしても、例えば赤信号無視による業務上過失致死事件の判決が執行猶予となる割合も、20年前と今日とでは60%→80%台となるに至り、検察のみならず裁判所においても交通事犯に対する刑がかなり緩和されているのが実情である。
以上は、『交通死』新波新書で交通死遺族でもある二木雄策氏が指摘された統計上の現象である。
・以上の10数年間での加害者の制裁面での現象を一言でいえば「急激なる寛刑化」と言える。
3、 加害者への異常なる過保護システム
・第1審の刑事裁判を受ける人の拘束率は、業務上過失致死事件に限れば、司法統計年報によれば、平成9年度はわずか12%である。この拘束率は傷害事件や暴行事件では95〜96%となっていることと比較すれば、人を死亡させても交通事故の加害者がどれだけ大事に扱われているかが明白である。加害者への異常な過保護システムとなっている。公判請求された加害者だけでこの数字であるのだから、略式による場合も含めると、さらにこの数字は小さくなると思われる。
・例えば、平成9年1月22日午前8時頃、大阪府四条畷市岡山東5−2−70号先の、積雪していた急な坂道道路をタイヤチェーンもつけずに自動車を発進させたために、すぐに自動車を制御できない状態にした重過失によって集団登校していた田畑篤志君(当時8歳)を死亡させ、他13人もの集団登校中の児童らに傷害を負わせた事件について、警察は加害者を逮捕しなかった。このため、一部マスコミは加害者を「さん」づけで呼ぶような事件の取り扱いとなった。このような異常ともいえる過保護システムが、加害者の言い分どおりに供述調書を作成させる傾向を生んでいるのであって、遺族の立場からは極めて問題である。
4、捜査や検察の現場
 以上に述べたこの10数年間での「急激な寛刑化」や「加害者への異常なる過保護システム」などによって、捜査現場や検察の副検事の仕事場では著しい士気の低下があるといわれており、捜査がおよそ捜査はと言えない行政的な事務処理となっていたり、不起訴とする為にのみ仕事をしているのではないかとさえ疑うような不起訴事案さえ発生しているのが実情である。この1〜2年間で私の事務所で相談を受けたり、受任した事件の中からその具体例を示して、説明すると次のとおりである。
例■ 平成8年8月9日 午前8時頃、大阪市中央区北浜1丁目1番30号先、国道堺筋線の「難波橋」で同市阿倍野区の会社員(27)運転の軽乗用車が歩道に突っ込んで通勤途中の3人が死傷し、うち北澤美穂さん(当時30歳)が死亡した事故。
・この事故で、大阪地検は平成9年12月25日、前の車との衝突を避けるための「緊急避難」にあたる可能性があるとして一旦は嫌疑不十分で不起訴処分にしたが、平成11年3月29日に不起訴を撤回し、会社員を業務上過失致死傷罪で起訴した。これは、不起訴処分を知った遺族が「会社員は無理な割り込みをするなど過失が明らか」などと大阪高検に平成10年9月4日捜査再開を申し立てた。このため、大阪地検が再捜査して、ようやく遺族の声に耳を傾けた結果、起訴へ変更されたものである。もし遺族が不服申立をしなかったならば加害者には何ら制裁がなされない
ままとなった事案である。検察の起訴回避主義を示す典型的な例である。
例■ 平成8年5月19日 午後0時頃、大阪府美原町さつき野中央交差点で、自転車で横断歩道を横断中に乗用車にはねられ死亡した池田
友厚君(当時13歳)の事故。
・この事故は、目撃者が5人おり、内3人の目撃者少年の供述と、加害者の供述とが、信号の色に関して全く相反する内容である事案であるが、副検事の目撃者少年3人への取調べの内容は、目撃者に対し加害者の供述に添うような供述の変更を求めるものであった(これは一部のテレビが取材し、放送済みである)。検察の起訴回避主義というか、起訴を避けようとする流れの中、検察はこんな不当な捜査までするようになったのかと感じるほど不可解な事案である。
例■ 平成7年11月11日 午後5時頃、滋賀県伊吹町の国道を自転車で走行帰宅中の小坂一生君(当時16歳)が、後方から制限速度30キ
ロオーバー(時速80キロメートル)で走行していたトラックにはねられて植物状態になり、今も意識が回復しないまま両親が24時間介護している事故。
・この事案では、加害者は罰金20万円にしか処されていないという刑の異常な低さも問題である。余りに異常な甘い刑であるため、平成10年に両親は岐阜高等検察庁に抗議申入をなしたほどである。そして、より問題なのは、本件の被害者が一生君だけでなく、両親の人生も奪ってしまう重大犯罪であるにもかかわらず、同乗者が2人いたのに同乗者に対する取調べが全く行われず、加害者の供述しか取調べて
いないという点である。捜査書類によると、近所の畑を耕していた2人ほどが、事故の音を聞いたという間接的な目撃者として形式的に記載されているが、肝心の直接の目撃者であるはずの同乗者に対しての
取り調べは何らされていないのである。加害者の供述によれば、この
時だけ同乗者の1人と運転を交代したとあるので、同乗者の取調べは絶対に不可欠なはずであった。どう考えても不当な捜査である。なお、この件については、加害者のスピードについてもブレーキ痕から
検証することもしないで、加害者の言い分だけでスピードを甘く認定記載しており、ずさんすぎる警察の捜査が目立つ事件である。
例■ 平成9年7月17日 午後7時40分頃、大阪府茨木市西河原2丁目の国道を、東から西にバイクで走行中の松浦邦雄君(当時21歳)が、国道沿いの寿司屋駐車場から突然飛び出し、走行してきた4輪駆動車に衝突され、死亡した事故。
・この事案については、刑事事件は保護観察付判決で終了したが、その後民事訴訟の相談を受けて不可解に思う点が1点あった。というのは、刑事裁判の公判になっているのにもかかわらず、かつ加害者の右方安全確認の有無が争点となっているのにもかかわらず、同乗者について何ら取り調べていない点であった。
 この件だけいえば、警察が何を調べたらいいのか、核心的捜査(右
方安全確認の有無という過失の内容)が何だったのかがわからないまま事故処理の報告を事務的・行政的に済ませてしまっている、と思わざるをえない事案であり、捜査現場では捜査のいろはさえ分からなくなっているのではないかとさえ疑いたくなる事案であろう。
5、結論
 以上述べた事案は決して特殊な事案ではなく、氷山の一角に過ぎないと思われる。
昨年の検察審査会への申立事件数は、交通死亡事故に関するものが激増しており、新聞紙上に掲載されるものだけでもかなりの数である。現在の警察や検察の交通事故(死亡)に対する捜査の士気の低下には著しいものがあることを示すものである。このように、一旦緩んだ捜査士気に対しては、厳重な監視が必要なものと考えるのが筋
であろう。そして、このような不公正な捜査や不当な処分がなされて
いることに対して、システム側(検察や警察)に監視体制を期待する
ことはおよそ無理であろう。監視に最も適切なのは、事故について直
接知りたいと思う遺族の姿勢しかない。遺族が捜査の公正を監視するためには、捜査情報の即時公開は必要不可欠のものである。
 また、事故の原因については、被害者を最も知る遺族に情報を提供し、遺族の声や遺族の事故原因の究明の姿勢を積極的に捜査に反映させることこそが、正当なる捜査といえるのではなかろうか。というのは軽傷で済んだ業務上過失致傷事件の捜査では被害者と加害者の言い分を対比することによって事故原因の検証をしているはずであり、死亡事故の場合には結果の重大性から考えて、かかる検証過程はより必要なはずなのに、現実には検証されていない例が多いのが実情である。かかる検証過程の省略を補完するためにも捜査情報の遺族への公開は必要であろう。
 最後に、捜査や検察の「捜査への監視の必要はまったくない」などと、以上の主張を一蹴する反論もあると考えられるので、この点も触れておきたい。
 捜査や検察において、不十分な捜査や手抜きの捜査がなされたとき、交通死遺族は加害者への正当な制裁を求める機会をまったく奪われるばかりか、遺族が後日直面する損保会社との交渉や制裁において取り返しのつかない致命的なマイナスポイントとなることは必至である。たとえば、加害者への制裁について、公判によるか罰金にするか検察庁は簡単に起訴を回避しているかのようにさえ考えているふしがあるが、公判でなく罰金刑にされることによって、民事裁判や交渉の中で加害者の過失の程度が小さいと認定されたり、被害者側の過失が大きいように認定されやすくなり、これにより遺族が苦しい立場に立つことについて、現場の検察官は多少なりともわかっているのであろうか。大いに疑問である。この原因は、「司法取引」とおよそ無縁である検察の土壌にあるのではないだろうか。

弁護士   松 本  誠