運転者の社会的責任の水準を問う
―交通事故被害者の立場から「同じ過ちを再び繰り返させない為に」

成田一彦

 交通事故の遺族の立場としてこれだけは書いておかなければならない。それは、現在の交通犯罪者に対する刑罰があまりにも軽すぎるということだ。被害者感情への慰めどころか、加害者自らへの反省を促すための戒めにも、また、類似犯への抑止効果にもなっていないのが現実である。ここでは、交通事故加害者に発生する責任とその実際、その責任の軽さがもたらしているもの、そして運転免許制度に対し我々被害者が望むこと、の3点について記述することにする。
交通事故加害者に発生する責任とその実際
 交通事故を起こすと、刑事、行政、民事の3つの責任が発生する。刑事責任とは、他人の身体に傷害を与えたり、生命を奪ったりした場合に刑法で、また、無免許や飲酒運転をした場合は道路交通法で処罰される事をいう。刑法では、刑法211条「業務上過失致死傷害罪」に該当し、5年以下の懲役もしくは禁錮、または50万円以下の罰金に処されることになる。行政責任とは、公安委員会が、事故や違反を起こした者に対し、運転不適当として免許を停止したり取り消したりするものである。民事責任は不法行為責任による損害賠償であり、一般的に「示談」と言われているものである。
 しかし、加害者に科せられる3つの責任が実際どの程度のものかを知る人は少ない。普段の交通安全教育の中で加害者になると大変だとされている事で、きっと重い責任を負わされているのだろうと言うくらいの事しか思っていないのが一般的である。実際私も交通事故遺族になるとは夢にも思っていなかった。従って、この世界の事は全くの無知であったわけだが、その後の事故処理をしていく過程で、「加害者に甘く、被害者にはあまりにも厳しい現実」を目の辺りにして、今の日本にこんな理不尽な世界があるのかと驚かされているのである。
 まず、刑事処分であるが、これは遺族が最も関心の高いものである。何故なら被害者に代わり国が合法的に加害者に罰を与えてくれるはずの唯一の機会であるからだ。しかし実状は、交通事故で人の命を奪っても40%の人は無実(不起訴)となっている。我々市民の感覚では、事故を起こし人を殺そうものなら交通刑務所に行くのは当たり前という感覚があるが、これは、大きな誤りである。飲酒・ひき逃げを伴わない死亡事故の場合、たとえ起訴されたとしても、殆どが執行猶予付きの禁錮1年程度の刑ですまされる。加害者にとって執行猶予付きの刑というのは、直接的な実害を伴うことがないので痛くもかゆくもないと言うことになってしまっている。更に、交通事故による殺人が、窃盗や詐欺に科せられる刑罰の、10年以下の懲役に比べても極めて軽いことは明らかである。これらは現行法制上、交通事故を一律に「業務上過失致死傷」に当てはめることに問題がある。飲酒・信号無視・無免許・スピードオーバーなどの、過失ではなく明らかに故意による違反が原因の事故の場合、それは故意犯として重く罰するべきである。なぜなら、多くの重大事故はこの故意犯により起こっているからだ。
 次に行政処分である免許停止では、60日もしくは90日間の免許停止を受ける事になる。しかしこれも講習を受けることにより、大きく減免され、実質的懲罰となっていないのである。更に民事責任に関しては任意保険会社が、示談交渉特約という名目で、全てを加害者になり代わり処理してくれる。金銭的な支払いでの自己負担は無く、更に被害者や遺族と直接会い謝罪する、精神的に最も辛いであろう示談交渉すら、全て保険会社が担当し、加害者は顔すら見せないで済んでしまう。加害者とはこんなに楽なのである。
責任の軽さがもたらしているもの
 この刑罰の甘さが、再犯への抑止効果にならないばかりか、クルマで人を殺してもこの程度ですむと言う気にさせ、累犯の可能性を生み出しているのである。
 ここで、過去に死亡事故を起こした者に息子さんをひき殺されたYさんの手記を紹介する。
 私の息子をひき殺した加害者は禁錮9か月の実刑になりましたが、息子をひき殺す2年前にも農家の主人をひき殺していました。その時は第三者の目撃者がいないこともあって不起訴になりました。
 加害者は農家の主人をひき殺した時、雇い主に「じじいが死にたがって俺の車に飛び込んできた。」と言ったそうです。私の息子をひき殺した時には、「子供が朝酒くらって酔っぱらって、俺の車にぶつかって来た。大迷惑している。」とほざきました。刑事裁判のとき、性懲りもなく車で来た加害者は、裁判所のロビーに私たちを見るや、意気揚々と片手をあげて「やあ、Yさんですか。元気になりましたか」と、なんと、自分がひき殺した被害者の親を人ごとのように同情するのです。罪の意識のかけらほどもない加害者に、怒り心頭に発した私は、思わず怒鳴りつけてやりました。
 加害者が農家の主人をひき殺したとき、せめて一ヶ月でも刑務所にいれてくれていたなら息子は殺されずに生きていられたと思います。人をひき殺して無罪ということになれば、死人に口なしですから、起訴を逃れた者もいるはず・・・
 無罪ということになれば、死亡事故を駐車違反より軽くみて、再犯を恐れない人間になって当然です。加害者が私の子供をひき殺したのも、一回目の死亡事牧で処罰されなかったからです。息子の生命を軽くみたのです。だから、二人も殺せたのです。
 子供を殺された親の苦しみ、また親兄弟を殺された遣族の苦しみは時間が解決してくれるというようなものではありません。まして、加害者から一言の謝罪も無いとあっては、遺族の気持ちは死ぬまで救われません。毎日が地獄です。人をひき殺して謝罪できないような人間は、人間の皮をかぶった畜生です。終生運転できないように、運転免許を取り消して欲しいのです。次の犠性者を、遺族を出さないためにもお願い致します。
 このYさんは決して特殊なケースではない。事実、私の知り合いの遺族の方の中にも、このように「交通殺人者」に、大切な肉親を奪われた人が何人もいるのである。
 会の活動の一つに裁判傍聴というのがある。その際、何人もの交通事故加害者を目にしてきているが、それらの加害者の中に、何か一種の共通点を見いだすことが出来る。特に「交通殺人」と呼ぶのがふさわしい事故の加害者にその傾向が大きく見られる。それは、この手記の加害者のように、明らかに運転者としての適正が欠けているだけでなく、常識ある社会人としての分別をも欠いていると思われることだ。このような加害者を見る度、再び悲惨な被害者をださないために「2度とハンドルを手にするな」と心の中で叫ばずにはいられない。
運転免許制度に対し被害者が望むこと
 我々被害者が望むことは、「交通殺人者」を始めとする悪質運転者に免許を与えないことである。
 現在免許停止を受けると、講習を受けることでその期間が短縮されるので、ほとんどの人が受講している。それは、仕事や生活をする上でクルマの運転、つまり免許が必要だからだ。しかし、ここに来るような人の中には免停の常習、つまり累犯者も少なくない。このような人たちに、講習をしたところで、どれだけ効果があるかは疑問の残るところである。 累犯者へは講習ではなく、免停の実施をもって行政処分とすべきである。なぜなら実生活に痛みを伴わない処分は、犯した罪に対する反省へとつながらないからだ。免停をなんとも思わないからまた違反を繰り返す、この繰り返しが現実なのである。つまり現在の行政処分は違反抑止効果になっていないと言わざるを得ない。
 更に、このような悪質ドライバーに何ら制限もなく免許を与え続けるのも大きな問題である。現状では、違反の累積で免許を取り消されたとしても免許欠格期間1―2年で再交付を受けている。悪質な累犯者には運転適正検査を設け、不適格とされたものには免許を再交付しない等のような厳しい態度で望むべきだ。公職選挙法に公民権の停止があるように、道路交通法違反にもこのような処置があっても良いであろう。悪質運転者をクルマに乗せないことが、我々一般市民を悲惨な事故から守る有効な手段であることは言うまでもない。その実現の為に、悪質運転者に運転免許を与えない事が、最も容易で、かつ有効な施策なのである。国民皆免許と言われて久しいが、個人の利便性から公の安全性へと、免許制度の運用を考え直す時が来ているのであろう。

出典脱クルマ21 3号 生活思想社 より